役に立つのか立たないのかや、価値があるのかないのかの線引きと、理論(思想)と実践(行動)の結びつき

 障害者施設にいた障害者の方たちの多くが殺される事件がおきた。その事件をおこした人は、役に立たない人間は生きているべきではないとする思想を持っていたという。

 役に立たないのや価値をもたない人間は生きているべきではないとの思想は、たんにこの事件をおこした人だけではなくて、日本の社会の中にも見られるものだ。日本の社会もまた裁かれている。そう言われているのがあった。

 役に立つのか立たないのかや、価値があるのかないのかで人を線引きするのは、まちがいなく客観のものだとは言いがたい。そこには主観の偏ったものさしが当てはめられている見こみが小さくない。あいまいな根拠にもとづく独断や偏見におちいることがおきてくるから気をつけないとならない。

 役に立つのか立たないのかや、価値があるのかないのかの線引きは、はっきりと二つに分けられるものであるよりは、ていどのちがいとしてとらえられるものだろう。どういうものさしを当てはめるのかによってちがってくる。ことわざでは馬の耳に念仏や猫に小判などがある。

 やがて人はみな死ぬのだし、やがて地球や太陽にも寿命が来て消滅するのだから、それをくみ入れると、大局的にはいずれみんなきれいに滅びてしまうのだとすれば、ちがいがあるのだとはいっても、あって無きがごとしということもできるだろう。

 あしたにでも日本では首都直下型の大地震が来るかもしれないし、日本列島の多くが機能不全におちいるとされる火山の破局噴火がおきるかもしれない。日本はいつまでもずっと確かに安定してありつづけるとは言い切れないし、いつ死なないとも限らないのだから、人どうしの優劣はともかくとして、命あっての物種(ものだね)なのがある。

 優と劣の差は固定したものとは見なせそうにない。劣とされるものがなければ優とされるものもまたない。優と劣の固定した差が蓄積によるとすると、その差が解消されることである蕩尽や消尽のときが来ないとはかぎらない。それまで通じていた枠組みであるパラダイムが変化することがある。

 多くの障害者の方たちが殺された事件では、思想と行動とに分けて見なすことがなりたつ。この事件をおこした人が持っていたまちがった思想に悪さのもとがあるのか、それともじっさいの実行に移したという行動に悪さのもとがあるのか。そのどちらだと言えるのだろうか。

 たとえまちがった思想をもっていたのだとしても、じっさいの実行にさえ移さなければ、まだよかったのだということも言えないではないが、その点については、思想と行動を、理論と実践として見てみられる。

 実践を抜きにした理論や、理論を抜きにした実践はありえづらい。実践のもとには理論があって、理論のもとには(何らかの)実践があるから、そのうちの一つだけを取り出すのではなくて、二つを共に見ることがなりたつ。

 人をたくさん殺すというほど悪い実践になると、そこには理論が関わってこざるをえない。そう見なせるのがあるのではないだろうか。たとえばせん滅にいたるまでの大量の殺りくや戦争だと、自民族中心主義などの理論が用いられることがある。人間は本能が壊れた動物だから、ありのままの自然からはみ出てしまっていて、歯止めがかからなくなることがある。そこには理論が関わっている見こみが低くない。

 理論を形にするさいには何らかの実践がいる。理論を形象化することだ。形となったものが実践だから、実践が批判されることは、理論との結びつきを批判(吟味)されることでもあるだろう。

 実践だけが悪いというのではなくて、それと関わる理論がどうかがある。悪い実践の背中を押すような悪い理論があったのか、それとも実践は悪いが理論はかならずしも悪くはなかったのかのちがいがある。

 悪い実践があるのだとすると、それと関わる理論があるが、それを見るさいには、一か〇かや白か黒かの二分法におちいるのを避けるようにしてみたい。悪い実践があるのだとすると、それと関わる理論が純粋に白いつまりよいということはありえづらい。何らかの黒いところつまりまちがったところがあることが少なくないから、そこを見て行くことができる。

 批判されるべきなのはじっさいの実行に移した行動にあるのだと言えるとしても、それと関わる思想もまたあるから、その思想の中に含まれるまちがいのていどが問われてくる。まちがいのていどが小さいこともあるだろうが、とても大きいこともある。まちがいのていどが大きければ、ゆるがせにすることはできづらい。たんに行動だけが悪いと言うことはできづらくなる。まちがいのていどが大きい思想が、行動の背中を押すことになってしまったととらえられるからである。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『倫理思想辞典』星野勉 三嶋輝夫 関根清三編 『唯幻論物語』岸田秀脱構築 思考のフロンティア』守中高明