新型コロナウイルスへの感染に対応することと、総論と各論―一人勝ち型と論争型

 新型コロナウイルスへの感染に対応して行くのは、総論としてはみんながうなずけるものだ。それとはちがい、各論もまたある。

 総論では賛成できても各論では反対がおきることは少なくない。そこのちがいを見て行くことができる。

 社会問題には大きく分けると一人勝ち型と論争型があるという。総論としてはとくに誰からも反対の声がおきないのだとすると、一人勝ち型に当たる。大きい枠ではみんながうなずくものだとしても、各論では色々な声があるのだとすると、論争型だ。

 一か〇かや白か黒かの二分法になるのを避けるようにするとすれば、まったく誰からも反対の声がおきないか、それとも色々な声がさまざまにばらばらに投げかけられているのかの二つにはっきりと分けられるものではないことがある。その二つが混ざり合っているものだ。

 山を登ることでいうと、あの山に登ろうということではみんながうなずけるのだとしても、いざ山を登りはじめてみたら、まちがった山に登っていることがわかった。それに気がついた人が、この山は目ざしている山ではないということを言うことがある。登るべきではない山に登ってしまっていることがあるから、それであれば引き返すことがいる。

 だれからも反対の声がおきないほどにみんなが完全にうなずけるのかどうかがある。もしそうだと言えるほどのものなのであれば、それは完ぺきに一人勝ち型であることをあらわす。大きな物語だ。そこまでのものではないとすれば、論争がおきることは避けられず、対立がおきることになり、政治化する。

 対立がおきて政治化することがまちがいなくよくないことなのかと言えば、そうとは言い切れそうにない。一か〇かや白か黒かの二分法になるのを避けられるとすれば、完全に協力し合うかそれとも完全に対立し合うかにはっきりとは分けられるとは言えそうにない。部分的に協力し合い、部分的に対立し合うこともあるだろう。共通点もあれば相違点もあるということになる。

 一刻一秒を争うというほどにせっぱ詰まっているのではないのなら、共通点と相違点を確かめてみるとわかりやすくなる。Y 字の道になっているとすると、どこまでが同じ道で、どこからが分かれ目となっているのかがある。はじめから完全に平行線なのではなく、途中で分かれ目があって分かれているのなら、対立点や争点をはっきりとさせて、そこについてを解決するようにできればよい。

 参照文献 『社会問題の社会学赤川学 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『働く大人の教養課程』岡田憲治(けんじ)