トイレットペーパーやティッシュペーパーの買い占めがおきている。店では品切れがつづいているようだ。
新型コロナウイルスへの感染が広まり出している中で、トイレットペーパーやティッシュペーパーが不足するという情報が流れた。その情報が広まることによってみなが連鎖するようにとりあえず買っておこうという行動をとった。
トイレットペーパーやティッシュペーパーが不足するという情報をはじめに流した人がいたとすると、その人はよかれと思って(もしくは悪気はなく)情報を発信したのかもしれない。
情報を発信するのは池に石を投げることになぞらえられる。池に石を投げたところ、水面に大きな波紋が広がることになった。思いのほかその波紋の広がりが大きくて、負の影響が出ることになった。
トイレットペーパーやティッシュペーパーが不足するという情報は、それそのものは本当に現実に根ざしているというほど確かなものではないが、その物語によって人々が動かされることになった。そこには再帰性を見いだすことができる。
再帰性があることによって、虚と実のあいだの境い目が揺らぐ。虚が実に反射して、実を動かす。実を動かしたのであればそれはもはや純粋な虚とは言いがたくなる。
たとえ万が一であったとしても、もしかすると品が不足することがおきるかもしれないということで、とりあえずではあったとしても品を買っておいて損をすることはないから、人々が品を買う行動をとる。
一人だけであれば大したことではないが、多くの人が同じような行動をすることによって、負の影響が出てくることがある。
正気か狂気かはようは数のちがいの問題だということを評論家の小林秀雄氏は言ったというが、多くの人が正気を失うことになると、それがたとえ一人ひとりにおいてはほんの少しずつであったとしても、その総和(合計)としてはそれなりの負の影響となる。
ほんとうにトイレットペーパーやティッシュペーパーを必要としている人に届かなくなるおそれがある。ほんとうに必要としている人が買えなくなる。これは共有地の悲劇がおきていると見なせるかもしれない。そこまで必要性はないが、買える機会のあった多くの人が買うことによって、そのしわ寄せが必要度の高い人におきてくる。ものを買うのは人の自由だから、いつ何を買ってもよいわけだけど、倫理的(エシカル)に買うというのは難しいものかもしれない。
参照文献 『日本を変える「知」 「二一世紀の教養」を身につける』芹沢一也(せりざわかずや) 荻上チキ編 飯田泰之 鈴木謙介 橋本努 本田由紀 吉田徹