入学試験の採点と自然主義の誤びゅう

 韓国の国籍をもつ受験者を、大学の入学試験で〇点にした。その疑いがあるのだと報じられている。

 もしこれが本当に行なわれたのだとすると、特定の国籍をもつ受験生を、そうであるということをもってしてみんな〇点にしたことになる。何々であるから何々であるべきだを導く自然主義の誤びゅうだ。

 韓国の国籍を日本に入れ替えてみたらどうだろう。日本の国籍をもっているというだけで受験生がみんな〇点にさせられてしまう。合理的な採点のしかただとはいえそうにない。普遍化できない差別だ。

 反転可能性から見てみて、任意の特性をもつ者だけをとくにはねのけるのは、納得できるものではないから、受け入れることはできないものだろう。まちがった自民族中心主義になってはいけないし、自由主義による反転可能性の試しをしてみて、立ち場が固定化されないようにしないとならない。正当性を欠いた不公平なあつかいにならないようにすることがいる。

 参照文献 『天才児のための論理思考入門』三浦俊彦 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫法哲学入門』井上達夫