新型コロナウイルスの感染への対応と、理想論と現実論

 新型コロナウイルスへの感染が日本の社会の中でもおきてきている。

 感染によって新型肺炎にかかる人がおきているが、その中で、それにみんなで対応していかないとならないのだから、あまり強く政治(政府)を批判しないほうがよいという声が言われている。いまは批判をしているとき(場合)ではないというのだ。

 対応をしているさなか(まっ最中)だというのは確かにそのとおりだが、そこにおいて気になるのは、理想と現実についてである。

 理想と現実とに分けて見てみると、その二つが近いのであればあまり問題はない。その二つのあいだに大きな隔たりがあるのであれば問題がある。

 批判をするのは、理想と現実とのあいだに大きな隔たりがある、つまり問題があることをさし示すものだ。じっさいにほんとうに大きな隔たりがあって問題があるのかどうかは置いておくとして、それがある可能性がある。そうであるとすると、批判の声を投げかけるにしろそうしないにしろ、それとは別に、大きな隔たりがあったり問題があったりすることになる(その可能性がある)。

 完ぺきに理想に近づけるのは難しいが、それと大きく現実が隔たってしまうのはまずい。それだと問題がおきることをしめす。そうはならないようにすることがいる。こうあるべきだという理想がある中で、それと現実とがあまり隔たりすぎないようにして、できるだけ近づけて行くようにする。

 人それぞれによって、どういうことが理想で、どういうことが現実かというのはちがってきてしまうから、色々な意見が言われることになる。まちがいなくこれが客観だとは言い切れず、主観の域の中にあることは多かれ少なかれまぬがれないが、あいまいさやうやむやになりすぎるよりかは、せめてどういうことを理想としていて、どういう現実になっているのかくらいは、なるべくはっきりとさせてほしいものだ。そのどちらもがあいまいやうやむやになりすぎていると、どこを目ざしているのかや何がおきているのかがはっきりとはしなくなる。

 批判を投げかけるのかそれともそれをしないのかとは別に、理想論と現実論の二つに分けて見られるとして、その二つのあいだが近いのか、それとも大きく隔たっているのかが気になるところだ。ほんとうは一〇だったり一〇にできたりするところが、一にしかできていないとか二にしかできていないのだとすれば、そこに問題があることはまぬがれそうにない。

 ごく単純な数字にできるほど現実は単純なものではないから、人それぞれによって色々にちがって理想と現実との関係をとらえられるのはまちがいない。そのうちの一つとしては、色々にある可能性の中のものとして、きびしい見かたがとられることがあってもよいだろう。もっとよりきびしく言えば、それがなければならないだろう。色々な文脈による見かたがあったほうが、より現実をとらえやすくなる。

 参照文献 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『日経文庫 ビジュアル ロジカル・シンキング』平井孝志 渡部高士反証主義』小河原(こがわら)誠 『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』西林克彦