感染症が船内で広まっているクルーズ船への日本の行政の対応は適したものだったのか

 新型コロナウイルスへの感染が、クルーズ船の中で広がっていて、船は横浜港に隔離されつづけている。その船についての日本の行政の対応に批判が投げかけられている。適していない対応を行政がしているために、かえって船内の乗客に感染が広まってしまっていると言われている。

 クルーズ船への対応に問題があったのだとすれば、その問題がどういうものであったのかを見るようにして行きたい。きちんとした対応が行なわれていれば問題はなかったのだから、そのきちんとした対応から隔たったことがじっさいには行なわれてしまった疑いがある。

 どういう対応をクルーズ船についてするべきなのかは、船の中の乗客に被害がおきるのをできるだけ最小限におさえられることがのぞましい。それが最小限におさえられず、ほんとうはおこさないですんだはずの被害をおこしてしまったのであれば、不手ぎわがあったことをしめす。そこに問題があったということだ。

 どういうふうに対応していれば、被害を最小限におさえられたのかや、感染をいたずらに広げずにすんだのかがある。うまく対応をしていれば、被害や感染がおきるのを防げたのだとすれば、それができていればよかった。それができたはずだったり、やるべきだったりしたのにも関わらず、それがじっさいにはできていなかったのであれば、対応の過程のどこかに複数のまずさがあったのだと見られる。

 船内への対応にいくつものまずさがあったのだとすれば、時間軸でいえば、すでに船内においておきていることは何かや、まだ見つけられていないで潜在している危険は何かや、これからすぐ先におきかねない危険は何かなどを見ることがおろそかになっていたのかもしれない。

 船内への対応は、易しいものではなくて、困難さをもつものであったのだとしても、そうであるのであれば、それをいくつもに分割するのは手だろう。分割して微分化して、とりあえずいまはこの手を打つのだとする。その手は明日にはその中に色々な欠点が見つかることがあるのだとして、どんどん細かく修正して行く。

 車の運転でいうと、この手を打っておけば大丈夫だろうという、だろう運転をするのではないのがのぞましい。もっと細かく分割や微分化するようにして、いまの時点ではさしあたってはまあまあの手であるのだとしても、明日にはそれの欠点が色々に見つかることがあるから、そのつど細かく微調整して行って、もっとちがう手を打つべきかもしれないという、かもしれない運転であるほうが多少はよいだろう。

 おおざっぱやずさんなやり方だと、色々なまずさがおきてしまいかねない。どういうことをやるべきなのかや、どういうことがやれるのかというのをきちんと見るようにすることがいる。どういう手を打つかについては、たえず評価を見直すようにして、まちがった評価づけをしているおそれを見こんでおく。もしもまちがった評価づけをしているのなら、まちがった方向に進んで行ってしまい、目ざすべきところとはちがう方向に向かって行ってしまう。船でいうと、羅針盤やかじの操作がはなはだしく狂う。それはまずいことだから、避けられればよい。

 参照文献 『問題解決力を鍛える』稲崎宏治 『誤解学』西成活裕(にしなりかつひろ) 『働く大人の教養課程』岡田憲治(けんじ)