ホテルの回答と首相の言いぶんとの食いちがい―例外つまり反例はほんとうにあるのか

 ホテルが主催者(契約者)に見積書や明細書を出さない例はあるのか。野党の議員がホテルにそうたずねたら、(この七年間で)そうした例はないのだとホテルは書面で答えたという。

 首相が言うには、ホテルが答えたのはあくまでも一般論であって、それとは別の営業の秘密で答えられない個別の例があるのだという。その個別の例の中に、首相が関わった例が入っているということだ。

 すなおにホテルの答えを受けとるのであれば、首相が言うように、一般論と個別論で答えているようには見なしづらい。もし一般論としてホテルが答えているのであれば、一般論ではとことわりをつけるはずだが、そうしたことわりはつけていないようだから、たんに例がないと言っていると受けとれる。

 主催者に見積書や明細書を出さない例はないというのは、英語で言えば、ノーということだろう。ノーというのはゼロという意味だ。つまりないということである。あるかないかのデジタルの二分法で言えば、あるのではないのだからないのだ。ありかつないというのだと厳密には矛盾する。

 量でいうと、すべての例か、またはある例か、というちがいがある。すべての例でないのか、それともある例ではないのかだ。たとえば日本人でいうと、すべての日本人は賢いか、またはある日本人は賢いか、のちがいである。

 量としては、野党の議員はすべての例でないということだとしている。その受けとり方がすなおなものだろうが、首相はそうではなくて、すべての例でないわけではないとしている。個別の例では、主催者に見積書や明細書を出さないことがあるのだというのだ。

 はたして、首相が言うように、一般論とはちがって個別の例では、またちがう例があるのだろうか。そうであるとすれば、全体の集合の中に反例(例外)があることになるから、すべての例で主催者に見積書や明細書を出しているとは言えなくなるが、反例があることをホテルが認めなければ、そう見なすのは苦しくなってくる。つじつまが合わない。もしも首相が言うような反例がじっさいにはないのなら、ホテルと取り引きをすれば、それは見積書や明細書が出されることを必然的に含意する。

 言っていることに反例があるのなら、反論がなりたつ。野党の議員の言っていることの中に反例があるのなら、首相は言い逃れをすることができるから、そういう(悪い)手を首相は使っているのだ。意識してかどうかはわからないけど。なぜ悪い手なのかというと、けっきょくのところほんとうの真相がどうなのかは闇の中になりやすく、また嘘の上塗りのように、口裏を合わせることで架空の例をねつ造しているおそれがある。客観的に反例があるというよりは、追及や批判の手をかわすための反証のがれだ。そこを疑っておきたい。

 参照文献 『実践ロジカル・シンキング入門 日本語論理トレーニング』野内良三(のうちりょうぞう) 『大人のための学習マンガ それゆけ! 論理さん』仲島ひとみ 野矢茂樹(のやしげき)監修 『反証主義』小河原(こがわら)誠