新型コロナウイルスへの感染と、人権の侵害―人のもつぜい弱性と、社会のぜい弱性

 人権についての意識が高いのが西洋の国だ。そうした西洋の国で、東洋人への偏見がおきているという。東洋人であれば、新型コロナウイルスに感染しているかもしれないということで、排斥されてしまう。しょせんは人権はそんなものにすぎない。人権への意識が高いとはいってもそんなものだということが言われていた。

 たしかに、西洋で人権の考え方が生まれたし、西洋の国は人権への意識がわりあい高いのだとしても、完ぺきに人権が尊重されているのではないだろう。完ぺきに人権が尊重されていたら天国や極楽に等しい。とりわけ、緊急の危機のときなんかでは、ふだんよりもなおさら人権が侵害されることがおきやすい。危機がおきると、弱い者が悪玉化されがちになる。

 西洋では歴史においてユダヤ人が排斥されてきた。ユダヤ人が不当に悪玉化されることがおきたのである。これは、危機のさいには弱い者やよそ者と見なされる者が攻撃されやすいことをしめす。過去の歴史の教訓をくみ入れられるとすると、こうしたことがおきないように気をつけないとならない。

 西洋では東洋人にたいして偏見がおきているようだが、そもそも偏見というのは根拠がしっかりとはしていないものである。しっかりとはしていないあやふやなところがある根拠からものを見ている。それを改めることがいる。

 偏見の見かたをもってして、弱い者やよそ者だと見なされる者にたいして、不当に悪玉化をしないようにすることがのぞましい。ぜい弱性をもつ者にたいして攻撃をしないようにできればよい。

 東洋人であればみなが新型コロナウイルスに感染しているのではないし、東洋人でなければみなが新型コロナウイルスに感染していないのでもないし、感染しないわけでもない。絶対論と相対論でいうと、絶対論で見るのではなくて相対論で見ることがなりたつ。東洋人であれば絶対に他への感染の危険があるわけではないだろうし、東洋人でなければ絶対に安全だとも言えそうにない。

 ぜい弱性をもつといえば、それは中国人や東洋人がそうであるというよりは、むしろ世界の全体がぜい弱性をもっていると見なすことができる。経済がグローバル化している中において、経済のもろさがあるは否定できない。ちょっとしたことがあると崩れてしまう。経済や社会のあり方のおかしさもある。そうした中で、その本質の問題を直視することがされずに、悪い言い方で言えばその場しのぎのようなことで、ぜい弱性や可傷性(ヴァルネラビリティ)をもつ者が悪玉化されて攻撃される。そのようにとらえることがなりたつ。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)