桜を見る会とその前夜祭と、自由主義からのまずさ―自由民主主義の競争性と包摂性が損なわれているおそれがある

 桜を見る会とその前夜祭では、いまの首相による政権が不正をおかした疑いがある。それとともに、それだけではなくて、自由主義の点からいってよくないことがいまの政権によって行なわれているおそれがある。

 どちらかというと、桜を見る会とその前夜祭と同じかそれより以上に、自由主義の点からいってよくないことが行なわれていることのほうがより大きな問題なのではないだろうか。

 与党と野党とは入れ替えが可能なのだから、与党による視点だけではなくて、野党の視点から見てどうなのかというのは揺るがせにはできないものである。視点を入れ替えてみて同じようなことが言えるのでないと、自由主義の点からいってまずいことになる。差別のあつかいになっているおそれがあるからだ。

 個別のことがらとして、桜を見る会とその前夜祭の不正の疑いがあるわけだが、それだけではなくて、それを見て行くさいに、いまの首相による政権によって自由主義がないがしろにされてしまっているのがあって、それもまた個別のことがらと同じかそれより以上に見逃すことができないものである。

 自由主義かつ民主主義(自由民主主義)であるためには、競争性と包摂性があることがいるとされる。いまの日本の政治では、それがとれていないところがあるのがいなめない。いまの首相による政権によって一強のあり方になっていることで、競争が働いていず、一強のほかが切り捨てられてしまっているのがあるので包摂性が損なわれている。

 問題を切り分けて見られるとすると、桜を見る会とその前夜祭では、たんにそれそのものがとり沙汰されているのにとどまらず、そこから派生して、自由主義が損なわれているということがある。いまの首相による政権についてだけではなくて、政権の一般として見てみたら、駄目なものは駄目なのだから、それをある政権では許したり、ちがう政権では許さなかったり、というあつかいの差がおきないようにするのが自由主義にはかなっている。

 いまの具体の政権をカッコの中に入れられるとすると、ある政権の一般が、政治をなすさいにどういうあり方であるのがのぞましいのかや、どういうあり方であったらのぞましくないのかがある。悪いことをやったのならしかるべき処置がくだされるべきだし、お上が悪いことをやることがし放題となるような不透明なあり方はのぞましいものではないだろう。

 一般的にどういうあり方がのぞましいか(またはのぞましくないか)の点から照らし合わせてみて、また個別のことだけではなくて自由主義の点から見ても、桜を見る会とその前夜祭には少なからぬ問題があると言えるのではないだろうか。この点については、ほかにも色々な見かたができるのはあろうだろうが。

 参照文献 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫法哲学入門』井上達夫政治学の第一歩』砂原庸介 稗田健志(ひえだたけし) 多湖淳(たごあつし)