アメリカの軍事的な行動と、大きな善と小さな善―カルト宗教などでは大きな善(大義名分など)が持ち出されるという

 アメリカは、イランの軍事司令官だったガーセム・ソレイマーニー氏を殺害した。殺されたソレイマーニー氏がまったくもって善だったのではないとしても、アメリカの軍事の行動はまちがいなく正しいものだったとは言いがたいものだろう。

 アメリカのドナルド・トランプ大統領は、ソレイマーニー氏を殺害する攻撃について、戦争を止めるためのものだったと言っている。このことについて、大きな善と小さな善に分けて見られる。

 トランプ大統領が持ち出しているのは、戦争を止めるというものだが、それは大義名分であって、大きな善に当たるものだ。そこに危うさがあるのがあって、大きな善を持ち出すことで、小さな善をないがしろにすることがおきる。これはカルト宗教なんかに見られるものだとされる。

 大義名分などの大きな善ではなくて、小さな善を守ることのほうが大切なことは少なくない。小さな善というのは、法の決まりを守ることなどである。

 民主主義は、大きな善ではなくて、小さな善を重んじることでなりたっているものだととらえられるから、大義名分を持ち出すことでつき進んで行ってしまうのを防ぐためには、小さい善がどうかが重要になってくる。

 現実における歯止めとなる働きをするのが小さい善だが、それをないがしろにすることになると、歯止めがきかなくなる危なさがある。理想による大きい善によってつっ走って行ってしまいかねない。それが見られたのが戦前や戦時中の日本で、そのことによって大きな失敗がおかされた。

 極端にかたよらないようにして、つり合いをとるためには、現実における歯止めやしばりとなる、法の決まりなどの制約条件のもつ意味あいは小さいものだとは言えそうにない。歯止めとなるものを、じゃまだということでとっ払ったり無視したりしてつっ走って行ってしまうと、その負のむくいを受けることになるおそれがある。壊したり無視したりしてはいけないものを、そうしてしまっているおそれがあるからだ。これは現代思想で言われる脱構築にともなう危なさ(脱構築をすることでおきる危なさ)だ。

 参照文献 『論理的な思考法を身につける本』伊藤芳朗(よしろう) 『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組 体は自覚なき肯定主義の時代に突入した』須原一秀(すはらかずひで) 『現代思想を読む事典』今村仁司