国どうしの抗争と紛争―非民主主義的なアメリカの軍事の行動

 アメリカは、イランの軍事司令官を殺害したという。殺害されたイランの軍事司令官は、イランで英雄のようにしたわれていた人物だったとされる。

 アメリカのドナルド・トランプ大統領は、このことについて、戦争を止める(行なわない)ための攻撃だったと言っている。戦争を行なわないようにするために攻撃したということである。

 国際連合国連憲章では、武力を行使することが原則として禁じられている。その例外(条件を満たしたうえでの自衛)に当たるのではないかぎり、武力を行使してはならないはずだ。アメリカの攻撃は、国際法に違反していると見られる。

 トランプ大統領は、戦争を防ぐための攻撃だったということを言っているが、これは危険なあり方だろう。国際的な法の決まりを無視して、例外状況のようなことで、決断主義による行動をとることにつながりかねない。決断主義ではなくて、あくまでも法の決まりを守ることがいるのだとしたい。とんでもない悪法ではないかぎりはそうしたほうがまちがいを避けやすい。

 トランプ大統領の言うように、戦争をしないようにしたいのであれば、ただたんに国際法の決まりをできるかぎり守って行けばよいのではないだろうか。そうではなくて、じっさいにアメリカがやったように、攻撃をするのでは、戦争をまねくことはあっても、それを防ぐことにつながるのだとは見なしづらい。

 国際法では、戦争が違法であるというふうにされている。なので、戦争を行なうことそのものが法に違反することなのだから、そもそもがそれをやってはならないのだし、やらないようにする義務がある。やってよいという権利はないのではないだろうか。その点については、現実には戦争はおきるというのがあって、色々な見なしたがなりたつのがあるから、それらをくみ入れないとならないが、何をすれば戦争を防げるのか(無くせるのか)ということを改めて見て行かないとならない。

 人類の過去を見てみれば、まちがった戦争につっ走ってしまった例は多くある。そもそもが正しい戦争というのは基本として無いわけだが、いくつもの過去の人類の愚かなあやまちがあって、その失敗があったことによって、国際的な法として戦争は違法であるというところまでいちおうは来たとされている。そういう流れがあるから、それに逆行することになると、戦争を防いだり無くしたりすることから遠ざかってしまう。

 参照文献 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし)