与党と野党のどちらがよりましかという比較―優と劣か、劣と劣か

 いまの与党は自由民主党だが、与党のほうが野党よりもましだと言えるのだろうか。

 与党のほうが野党よりもまだましだというのは、修辞学でいわれる比較からの議論である。別の言い方では、なおさら論証とも言われるという。たとえば、自民党はだめだけど、野党はなおさらだめだ、などと言える。

 なおさら論証というのは、同じであるということと、ちがいがあるということによっている。与党と野党でいえば、政治の政党であるという点が同じだ。ちがいでは、与党はましだが野党はだめだと見なす。より強い理由によってよいとかまたは悪いと見なす。ちなみに論証とは、根拠や理由から主張を導くことである。したがって、論証を批判するとは、根拠や理由から主張を導くやり方に非があることをさし示すことである。

 与党と野党とのあいだに、ていどの差があるのだという、なおさら論証は、なりたたないのではないだろうか。というのも、もしもなおさら論証がなりたつのだとすれば、与党が優で野党が劣となるだろうが、そうではなくて、与党も野党もどちらも劣のような気がしてならない。いわば(しいて言えば)劣と劣なのだ。

 劣と劣というのは、ことわざでいうと、目くそ鼻くそとか、どんぐりの背くらべということだ。

 野党のことはひとまず置いておいて、与党である自民党がどうかということでは、その劣化がおきるのがある。劣化するもととしては、ながいこと権力を握りつづけることによって、権力の腐敗がおきてしまう。それによって劣化する。

 てきとうなところで権力が交代することがないと、いわば野党が排除されつづけることになるので、与党である自民党の虚偽意識化が進みつづけることになる。与党である自民党が、いくら現実主義に根ざそうとしても、それができなくなって、現実から離れた虚偽意識と化す。現実の声をまんべんなくすくい上げることができにくくなる。

 あくまでも与党である自民党の劣化ということに焦点を置けるとすると、それを防ぐためには、てきとうなところで権力が交代しなければならないし、まっとうな政党間競争がないとならないし、しっかりとした対抗権力があるようでなければならない。

 野党はだめで、与党はよいということで、与党が権力を牛耳りつづけることによって、逆説的に与党が劣化することから、与党がだめになってしまう。そう見なすこともできるだろう。

 与党は、野党の力を削いでだめにすることによって、権力を牛耳りつづけるのだとしても、そのことによって逆に自分で自分の首をしめることになってしまう。よい与党であるためには、力をもったよい野党や反対勢力が議会の内や外になければならなくて、その条件を欠いている中では、与党は優で野党は劣だという見かたを疑わざるをえない。

 参照文献 『実践ロジカル・シンキング入門 日本語論理トレーニング』野内良三(のうちりょうぞう) 『「踊り場」日本論』岡田憲治(けんじ) 小田嶋隆 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹