消費税と、それをとり巻く条件や状況―条件や状況を抜きにはできそうにない

 消費税を上げるのは悪い、下げるのはよい。これは白か黒かや一か〇かの二分法になっているのではないだろうか。

 二分法というのは、消費税そのものについて、それを上げるのは黒だとか、下げるのは白だとかと見なすものだろう。

 消費税というのは、それそのものがよいとか悪いとかというのではなくて、条件や状況をくみ入れることがいるものなのではないだろうか。

 さまざまな複数の条件がある中において、消費税を上げたらとするのなら、こういうふうになる。または、さまざまな複数の状況がある中において、消費税を上げたとするのなら、こうなるだろう。そうした見かたがなりたつ。何の条件または状況も抜きにして、ただ消費税を上げるのが悪いとかよいとかというふうにはなりづらい。

 具体としてどういう条件や状況があげられるのかというと、効率性と公平性をあげられる。かりに、きわめて高い効率性ときわめて高い公平性がある中において、そういう条件や状況が整っているうえで、消費税を上げるのだとすれば、そこまで悪いことにはならないのではないだろうか。なぜかというと、きわめて効率性や公平性が高いので、消費税によって徴収された税収が適正に使われることになるからで、それを期待することができるからである。

 消費税を上げることについては、上げたとしても税収じたいが伸びない(増えない)ということも言われているようで、そうした問題もあるかもしれない。ただそれについては、軽減税率を導入したり、ポイント還元をしたりしているから、それによって税収がうまく伸びていないということもあるのかもしれない。素人の言っていることだから、当たっていないかもしれないが。

 消費税を上げるか下げるかということでは、それそのものというよりは、それをとり巻く条件や状況のほうが意味あいが大きいようにも見なせる。経済に関わっているのは、消費税ということよりも、効率性や公平性や、そのつり合いというのが大きいのであって、それが大きいのだとしたら、そこを何とかするのが有効だ。

 いまの日本の社会が抱える問題として、効率性が損なわれているのや、公平性が損なわれているのがあげられる。その二つのつり合いが損なわれているのもある。

 効率性が損なわれているのには、政治では国会(議会)のあり方がある。国会での与党と野党のやり取りは非効率さがはなはだしい。おまけに、議論が民主的でもないし効果的でもない。公平でもない。もともと日本語というのには情報の伝達の点で効率的ではない欠点があるが、それへの問題意識がほとんど見られなく、逆にいまの与党はそれを悪用している。

 そうしたまずいことが色々にある中で、へんな形で国家主義大衆迎合主義が巻きおこっていて、その国家主義大衆迎合主義によって、社会の中にあるおかしさがごまかされているのがある。国家主義大衆迎合主義をいくら高めたところで、それらのまずいことが何とかなるわけではなくて、根本から社会の中のまずいことを何とかすることにはまったくと言ってよいほどなっていない。

 参照文献 『効率と公平を問う』小塩隆士(おしおたかし) 『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』山岸俊男 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『「イラク」後の世界と日本 いま考えるべきこと、言うべきこと』(岩波ブックレット) 姜尚中(かんさんじゅん) きくちゆみ 田島泰彦(やすひこ) 渡辺治(おさむ)他