いまの時の政権のもつ動機づけのあり方を批判してみたい―内発の動機づけの減退効果

 いまの時の政権や、大手の報道機関(の少なからず)に欠けているものは何か。それらにおいて問題になっていることは何か。

 そう問いかけられるとすると、それにたいする答えとなるものには色々なものがあるだろうけど、その一つには、内発の動機づけの欠如があるのではないだろうか。

 ここで言う大手の報道機関というのは、三列の報道機関論の中で、わりあいにまともなのやがんばっているいくつかの報道機関を除いたものである。

 三列というのは、一列目は新聞社や通信社や NHK で、二列目は硬派な週刊誌や月刊誌やテレビ番組で、三列目は大衆的(低級)な雑誌や新聞やテレビのワイドショーだとされる。

 三列目である、テレビのワイドショーによる報じ方によって、ほかの列までそれに引っぱられてその負の影響が波及していると言われている。よいところもたしかにあるものの、テレビの(ワイドショーの)負の影響は大きく、テレビ民主主義とも言われている。これによって、内発の動機づけを持ちづらくなって、外発の動機づけをとることをうながす。ウェブの写真サービスのインスタグラムではインスタ映えというのがあるが、映えをとってしまうようになるのだ。

 いまの時の政権や、大手の報道機関の少なからずには、内発の動機づけが欠けていることが少なくなく、内発の動機づけの減退効果が強く働いている。その効果が大きくなっている。

 内発の動機づけが欠けたり減退したりすることに代わって、外発の動機づけが大きくなっている。外発の動機づけというのは、報酬となる数字を追いかけることだ。人からほめられることをもってしてよしとする。

 外発の動機づけが大きくなることによって、内実よりも効果をとることに走ることになる。そのことが見て取れるのが、いまの時の政権における桜を見る会のてんまつだ。この会には内実がいちじるしく欠けていて、表面的な効果のみしかほぼ見られない。官房長官は、この会には意義があると言っているが、じっさいには意義すなわち必要性などほぼ無いのではないだろうか。

 いまの時の政権や、大手の報道機関の少なからずは、外発の動機づけによりすぎているために、偏ったあり方になってしまっている。偏ったあり方になっていることで、国民にとって広く益になるような政治が行なわれたり、国民の生活を安んじたりすることが行なわれることがさまたげられてしまっている。このもとにあるのは、いまの時の政権が持つ動機づけのあり方がおかしいことによるのが大きい。そのあり方が不適切になっている。

 政治というのはとことんやることがいるものだと言われているのだが、これは内発の動機づけがないとなかなかできない。何でもかんでもとことんやればやるほどよいとまでは言えないのはあるが、表面的でいい加減なのがいまの時の政権にはしばしば目につく。そう映ることが個人としては多くある。それは外発の動機づけによりすぎているからだろう。

 参照文献 『学ぶ意欲の心理学』市川伸一 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『情報政治学講義』高瀬淳一