桜を見る会と、動機づけの適合性(インセンティブ・コンパティビリティ)―国益とは関わりのない、与党の政治家の票を得るための活動

 与党の国会議員にとって、益になることとは何か。それは、国の全体の国益だということは言えそうにない。そうではなくて、自分たちを支持してくれる票を得ることだ。

 首相がもよおすという桜を見る会のあり方を見ると、それが分かるのではないだろうか。桜を見る会では、首相や与党の政治家たちにとっての益となるようなことをしていたことがさし示されている。自分たちを支持してくれる票を得る(固める)ために動いていた。

 特定の人たちにだけ益を与えるのは、公共という点からすると正当化できることだとは見なしづらい。はじめは自分の益をとるということからはじまっても、それが広くみんなの益につながるようなことでないとならず、特定の人たちにだけ益になることにとどまるのであればまずい。特権になってしまう。桜を見る会ではそれが行なわれたうたがいがある。

 自由主義においては、普遍化できない差別の排除つまり特権をとらないようにすることがいるが、そうすることが行なわれず、そのあり方が壊されてしまっているのが、いまの時の政権のやっていることで、自由主義は保たれているとは言えず、それの危機となっている。普遍化できない差別が色々と行なわれている。その一つのあらわれとして、桜を見る会があるのではないだろうか。

 広く国民の益になる国益と、与党の政治家たちの益になることとがある中で、国益がないがしろにされていて、与党の政治家たちの益が優先されている。与党の政治家たちがやっていることがまさにちょうど(just)と言えるほどに国益になっているのだというのは、虚偽意識であるのにほかならない。

 参照文献 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫法哲学入門』井上達夫 『若者のための政治マニュアル』山口二郎 『若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり)