大きいことと小さいこと―細部を見ることと、全体の虚偽(不真実)性

 大きなものごとと、小さなものごとがある。大きなものごとができていれば、小さなことはおろそかになっていてもかまわないのだろうか。

 大きなことを森だとすると、小さなものはその中にある木だ。森がよければ、その中の木が何本か駄目だったとしても、全体を総合で見ればすべてが悪いとは言えない。全体を総合で見ればよいという見かたがなりたつ。

 森が全体で、木が部分だとすると、木は細部だ。細部こそが大事なのだという見かたもまたなりたつ。ことわざでは、神は細部に宿ると言われている。

 森という全体は、それそのものが虚偽だということがある。哲学者のテオドール・アドルノ氏は、全体は虚偽であると言っている。森という全体を見るのは巨視(マクロ)だが、巨視というのはとりつく島がない。そこで、森の中にある木に焦点を当てるのが微視(ミクロ)だ。アドルノ氏は微細学(ミクロロジー)というのを言っていて、微視による見かたをうながしているという。大きいものではなくて、小さいもののほうが大きな意味あいを含む。

 かりに森という全体が充実しているように見えるとしても、それをもってして森の全体がほんとうにのぞましいあり方になっているとは言い切れない。よく目を凝(こ)らして見てみると、森の中のいくつかの木が駄目になっていることがある。いくつかの木が犠牲になっている。そこに、森の全体の病理が映し出されている見こみがある。

 森を見るのを巨視だとして、木を見るのを微視だとすると、巨視だけでこと足りるとは言えず、微視によるのもまた欠かせない。微視で見ることによって、そこに兆候を見てとることができることがある。小から大へというふうにものごとが進んで行くとすると、はじめは小さい兆候からはじまってしだいに大きくなって行く。

 森よりも木が大事だとしてしまうと、ことわざで言う木を見て森を見ずとなってしまう。そうかといって、森を大事にするだけだと、ことわざで言う神は細部に宿るということで、細部がおろそかになりかねない。ことわざでは一事が万事とも言う。そこのあいだのかね合いをとることがいる。

 森というのは木によってできていて、定量で見ると、森は一足す n(自然数)である。木は数でいうと一だ。数としては一である木が n 個集まったものが森だ。n の中に入る数というのは、まちがいなく定まっているとは言い切れず、どのような数であるとも限らない。そうであるがゆえに、n の中にどれくらいの数が入るのかということよりも、数としては一である木のほうがより大事だと見ることもなりたつ。

 木が n 個集まれば森になるが、その n 個というのは一本の木に付随したものだということになって、かりにまったく一本の木もないゼロではないのであれば、n 個というのはていどのちがいをあらわすものでしかない。質というよりは量のちがいであって、ゼロではないことに共通点がある。これは木と森のちがいを相対化して見たものだ。ラジオでいぜんにお笑い芸人で学者のサンキュータツオ氏が、髪が豊かなのと薄毛とのちがいとして説明していたものによる。

 髪の毛が濃いのと薄いのでは、濃いのと薄いのとのちがいは連続(アナログ)だ。一か〇かや白か黒かの離散(デジタル)なのではない。灰色の領域がある。もし離散だったらわかりやすい。そういうことで、タレントの所ジョージ氏は、とても太い髪の毛がたった一本だけ頭に生えていたらよいと言っていた。そうであれば、そのとても太い毛が一本生えているか、それともそれが抜けたかということで、離散になるので、ちがいがわかりやすくはっきりとする。

 森を見る巨視と、木を見る微視というのは、どちらにも順機能(プラス)と逆機能(マイナス)がある。森を見るばかりで、木を見ることがおろそかになれば、それがマイナスとしてはたらく。森にとって少なからぬ意味あいをもった木に焦点を当てて見ることができれば、たとえ微視であるとは言ってもプラスにはたらく。森つまり大きなことだからよいとは限らないし、木つまり小さいことだから駄目だとも言い切れそうにない。

 森と木においては、それを理想と現実ということに置き換えられる。大きな理想よりも、小さいのやささいな現実のほうが大事なことがあって、大きな理想をかかげることは、小さい現実をおろそかにすることの言いわけにならず、致命傷になることがある。そこでは、大きいことと小さいこととを切り分けることができて、大きいことをやろうとしていたり、それができていたりするからといって、相対的に小さいことをないがしろにしてよいことにはならない(その理由にはならない)。

 参照文献 『トランスモダンの作法』今村仁司他 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『論理的な思考法を身につける本』伊藤芳朗(よしろう) 『デジタル思考とアナログ思考』吉田夏彦