試験で問題を解くことと、問題を見つけること―問題の発見の値うち

 大学の入学試験では、受験者は出された問題を解く。それとは別に、大学の入学試験そのものが持つ問題を見つけることがある。

 新しく行なわれることになっていた、大学の民間の入学試験では、そこに問題があることがさまざまな人によってさし示されていた。これは試験で出される問題を解くことではなく、(試験がもつ)問題を見つけることだった。

 新しく行なわれることになっていた民間の試験には色々な問題があることが言われているが、それが意味することというのは、試験を企画として見ることができるとすると、そのずさんさだ。質が高くはないものだったということである。

 与党である自由民主党のいまの時の政権は、新しい大学の民間の試験を、一つの企画としておし進めようとしていた。これを哲学者のカール・ポパーによるポパー図式(問題解決図式)に当てはめてみると、こうした流れになる。問題、暫定(ざんてい)の見解、批判、新しい問題、という流れだ。

 ポパー図式の流れのうちで、二番目の暫定の見解というのは、一番目の問題にたいするものであって、理論や仮説ともされる。三番目の批判は反証つまり否定することを試みることで、それによって二番目の見解がもつまちがいをとり除くことをねらう。コンピュータプログラミングでいうと、バグをとり除くということに当たるだろうか。

 この流れの中で、自民党のいまの時の政権は、自分たちがよしとする企画つまり暫定の見解にこだわった。それを手ばなそうとはせず、他からの批判にさらそうとせず、そのままやろうとしていたのである。そこへ色々な人たちからの批判がおきることになって、いまの時の政権がやろうとしていた企画に色々な問題や穴があることが明らかになった。反証(否定)される形になったのである。

 新しい大学の民間の試験は、あくまでも一つの手段にすぎないものであるが、それをいまの時の政権は確証して目的化した。そこにまずいところがあったと言えるだろう。企画を行おうとするさいには、それを早めにきびしい批判にさらすようにして、企画の中に色々な問題や穴が含まれているのを確かめるようにするのが安全だ。

 企画(暫定の見解)というのは一つの照明であって、その照明の光が届かない暗いところつまり問題や穴がしばしばあるものだ。照明で光っているところだけを見ていても、まんべんなく偏りがないように見ていることにはなりづらく、見落としを避けづらい。

 参照文献 『企画力 無から有を生む本』多湖輝(たごあきら) 『反証主義』小河原(こがわら)誠