日本のいまの時の政権が韓国にたいして言っていることは、客観的に説得性があるのかはそうとうに疑問だ

 国際法において、違法の状態をつくったのは韓国であるのにほかならない。与党である自由民主党菅義偉官房長官はそう言っている。

 官房長官が言うように、韓国が一方的に国際法に違反しているということがじっさいのところなのだろうか。そこについては、それとはちがう見かたがなりたつのにちがいない。

 韓国が一方的に国際法に違反しているというのは、法律論だ。この法律論や、日本が正しいという正論によって、日本と韓国とのあいだのもめごとが片づくのかと言えば、そうであるとは言いがたい。その見こみは高いということはできそうにない。

 日本は、韓国にたいして、法律論や正論で押し通すのではなくて、和解にもって行くべきではないだろうか。お互いにゆずり合うようにして行く。そうすることがいるのは、日本が法律論や正論で押し通しても、日本に明らかに分があるとは言いがたいからである。むしろ日本は分が悪い。総合的に見ると、日本には少なからぬ非があるのだから、そこを認めるようにして、和解による解決を目ざすほうが長い目で見れば合理的だ。

 韓国が国際法に違反しているということで、日本がそれを言うことで、韓国がすなおに受け入れてくれるのであればもめごとはわりあいたやすく片づく。日本が言っていることにたいして、それはそうだなとか、まいりましたということで、韓国がうなずくのであれば、日本が正しくて韓国がまちがっていたということになるだろう。

 日本は国際法を守っていて、韓国は国際法に違反しているというのは、日本がとっている見解だ。この日本がとっている見解は、非の打ちどころがないほどに正しいとまでは言いがたく、そこに非があるのだとすれば、それを無視することはできづらい。

 日本の見解は、非の打ちどころがないほどにまったくもって正しいということはできず、さしあたってのものにとどまっている。くつがえされることがある。くつがえされるというのは、反証(否定)されるということだ。そうではなくて、日本の見解はまったく反証されることがないほどに正しいというのであれば、それは固定された教条(ドグマ)や教義となっていることをしめす。

 固定された教条や教義は、最終の結論となるものだが、日本が言っていることはそこまでのものにはなっていない。はっきりと正しいとまでは言いがたい仮説であるのにすぎない。それに疑いを投げかけて、きびしく批判される過程を経ることがないと、本当に正しいものだということはできない。

 参照文献 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『財政・安保・領土、そして政治 「日本の液状化」を救う!』川崎隆司(りゅうじ)