国がもつ物理の力を行使することの作用と反作用―情報の拡散

 デモ隊と警察がぶつかり合う。警察というのは国家装置である。国による物理の力だ。このさいの警察とは、国家警察をさす。これは政治警察や秘密警察や警備公安警察と言われ、(国民ではなく)国家の権力に奉仕するものである。

 何かの抗議などの活動をしているデモ隊が、警察とぶつかり合いになって、警察によって排除される。それで排除されるさいに、暴力が振るわれたり、暴力的に逮捕されたりすることがおきる。

 国の政治の権力というのは、平時には物理の力をじかには用いずに、それ以外の手による支配を行なう。その支配のための道具となるのが、大手の報道機関や学校などの、国家のイデオロギー装置だ。

 国家のイデオロギー装置による支配に限界がおきて、国家が物理の力による支配を行なう。そこで暴力が振るわれる形で反対勢力が排除されるありさまが、情報として記録されて、拡散される。そこで行なわれていることは、非文明的な野蛮なことであるとしても、それが情報として記録されて拡散されることは、文明的であると言えるだろう。

 いまの時代は、情報を記録して拡散する技術が発達していて、情報が残されて広まりやすい。そのために、国家が物理の力を用いるさいに、その作用にまつわる反作用がおきることになって、悪い宣伝のような効果がすぐにおきる。物理の力を用いる主体が意図しないものだとしても、悪く宣伝することになる。負のこん跡がつくられて残る。特定の国家や地域にとどまらず、国民国家の一般がもつ悪いところがあばかれることになるというのもいなめない。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『情報政治学講義』高瀬淳一 『警察はなぜあるのか 行政機関と私たち』原野翹(あきら)