上(政権)には甘く、下(野党の議員)にはきびしいように映る―野党の議員も上と言えば上ではあるが

 国会で、野党の議員が政府に、質問の事前通告をした。その内容が外部にもれた。内容が外部にもれたことは内規に違反すると見られている。

 質問の事前通告の内容を外部にもらしたと見られる関係者は、政府の政策に関わっている人や、大学の教授だとされている。関係者は、質問を外部にもらしたことについてを批判する野党の議員にたいして、懲罰を発動する動きをおこしたり、人権の侵害に当たるのだと言ったりしている。

 関係者が言うように、野党の議員には懲罰が発動されるべきなのだろうか。人権の侵害が行なわれたのだろうか。

 この疑惑は、野党の議員と、外部にもらした関係者とのあいだで対立が見られるが、両者ともに公人であるのだから、批判を互いにやり合うことで何とかするべきだろう。

 質問を外部にもらしたと見られる関係者は、野党の議員よりもむしろ政権により近い。政権により近い立ち場にいるのだから、よりしっかりとした説明責任が求められる。それなのにも関わらず、野党の議員に懲罰を発動しようとしたり、人権の侵害だと言ったりするのは、論点をいたずらにずらすものであって、説明の責任をしっかりと果たそうとしているようには受けとれない。

 応報という点でいうと、もしかりに野党の議員に悪いところがあるのであれば、罪と罰のつり合いということで、責められるいわれはあるだろう。どこにきびしい監視や追及の目を向けるべきなのかといえば、それはじっさいに政治の権力にたずさわっているいまの政権であり、またそれに関わっている関係者だ。

 応報の点では、悪いところつまり罪があるかどうかをきびしく見られるべきなのは、公人の中では、野党の議員というよりも、いまの政権やそれに関わる関係者のほうなのだから、自分たちの立ち場をいまいちど改めて確かめ直すべきだろう。

 質問を外部にもらしたと見られる関係者は、自分たちがいまの政権に関わっているのでありながら、野党の議員から批判の目を向けられたら、あたかも自分たちが弱者であるかのようにふるまうのは、打たれ弱すぎるのではないだろうか。この打たれ弱さは、いまの時の政権のあり方に等しい。公人またはそれに近い立ち場でありながら、いざとなったら弱者のようにふるまうのは、強者と弱者をはきちがえてしまっている。

 参照文献 『名誉毀損 表現の自由をめぐる攻防』山田隆司(やまだりゅうじ)