生活に困って、犯罪をおこして刑務所に入る、という事件がおきていることの意味あい―社会福祉の機能不全

 お金がない。食べるものに困る。それで強盗の事件をおこして、刑務所に入ることをもくろむ。そうした事件がおきている。

 こうした事件がおきるのは、いまの日本では、刑務所が福祉の働きをしていることをあらわす。そう指摘されている。理想としては、刑務所ではないところでの福祉が十分に働いていて充実していることがいるが、そうはなっていない。

 刑務所が福祉の働きをするようで、はたしてよいのだろうか。刑務所に入るよりほかに生活の手だてがないという状況に人がおいこまれてしまうのは、健全な社会のあり方だとは言えそうにない。

 いまの日本の社会では、すべり台社会となっていて、そのすべり台が人によっては急な傾斜となっている。いっきにいちばん下まですべり落ちてしまう。それが自己責任として片づけられてしまう。

 日本には雇用と社会保険生活保護という三つの安全網があるとされるが、そのどれもに穴が空いているので、安全網としての働きを十分に果たしづらい。それでいちばん下まで落ちて行ってしまう。

 持てる者はますます持つ。持たざる者はますます持たざることになる。これを聖書にちなんでマタイ効果というそうだ。いまの日本の社会には、マタイ効果が働いてしまっているのではないだろうか。持てる者と持たざる者との差が固定化してしまっている。不平等が正されない。

 社会の格差や分断があって、それがそのままで放っておかれると、社会に深刻な悪い影響をおよぼす。それが危ぶまれている。いま一度改めて、社会保障や福祉の理念を見直してみることがあればよい。

 社会保障とはラテン語で SE CURA と言い、これは英語では without care で、悩みが無いことをさす。cura や care は、心配や悩みやうれいごとを意味する。福祉は Welfare といい、よくまたは快く暮らして行く(やって行く)ことをさす。これらの働きがいまの日本の社会では弱くなっていて、悩みが多いのや、不快に暮らして行くのや、暮らしそのものが成り立たないことに、人によってはなってしまっている。まっとうさがさまざまなところで欠けている。

 参照文献 『日本の社会保障広井良典(ひろいよしのり) 『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』阿部彩(あべあや) 『反貧困 「すべり台社会」からの脱出』湯浅誠 『社会福祉とは何か』大久保秀子 一番ヶ瀬(いちばんがせ)康子監修 『分断社会ニッポン』井手英策 前原誠司 佐藤優 『分断社会・日本 なぜ私たちは引き裂かれるのか』井手英策 松沢裕策編