野党の議員の質問の事前通告が、外部にもれたそうだ

 野党の議員が、政府に質問の事前通告をした。その内容が外部にもれた。外部にもれた先は、政府とつながりのある大学の教授だとされている。

 これが発覚したのは、大学の教授が自分でテレビ番組に出て、そこで自分の口からしゃべったことによる。質問が外部にもれていなければわからないことを、大学の教授は自分の口から語ったのである。

 この問題を整理することができるとすると、一つの問題としては、質問が外部にもれてはまずいという点がある。外部にもれないのが理想だが、それがもれてしまったのが現実なので、理想と現実とのあいだに落差がある。

 質問がもれた先である大学の教授の言いぶんとしては、質問が外部にもれてもかまわないのだと申し開きをしていた。むしろもれたほうがよい。国民にあらかじめ示されたほうがよいということを言っていた。

 大学の教授の言っていることは、理想としては質問は外部にもれてもよいが、そうはなっていない(もれてはならない)のが現実だという認識を示している。理想と現実とのあいだに落差があることになる。

 質問が外部にもれてはならないのを理想とするのと、大学の教授が言うように質問が外部にもれてもかまわない(もれたほうがよい)のを理想とするのとでは、ちがう理想がとられることから、問題がごちゃごちゃしてしまう。

 話を整理するようにして、分けて見るようにしたい。何が理想で、何が現実で、そこのあいだの落差つまり問題は何か、という点を明らかにできると話がこじれずに分かりやすくなる。

 複数の問題を切り分けて、ちがう理想と現実をいっしょくたにはしないようにして、別々にしたほうが分かりやすい。いっしょくたにしてしまうと、お互いがお互いを打ち消し合って、分かりづらくなる。そもそももともとの決まりとしてはどうなっているのかと、(決まりは決まりとして)そもそもどうあるべきかというのは、そもそも論としては似ているものではあるが、中身は異なっている。

 参照文献 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『増補版 大人のための国語ゼミ』野矢(のや)茂樹