天皇を侮辱することと神聖化すること

 天皇を侮辱(ぶじょく)することはあってはならない。天皇を否定するような作品があつかわれているとされる文化のもよおしが行なわれている中で、それへの抗議が行なわれていた。

 もよおしへの抗議にはもよおしが開催されている地域の市町も駆けつけていた。もよおしの開催をめぐって、県知事と市長とで対立がおきている。抗議では、税金の適した使い方をせよということも言われていた。

 天皇を侮辱することは、よくないことなのだろうか。そう問いかけられるとすると、それにたいする直接の答えではないかもしれないが、天皇を神聖化することもまたよくないのではないだろうか。

 戦前や戦時中の日本では、天皇が神ということで神聖化されていた。それでまちがった方向に進んで行った。戦後には天皇は神ではなくて人だということで、国民の象徴となった。

 何の意味もなく、ただ天皇を侮辱することは、あまりよいことではないかもしれない。そうではなくて、何かの理由があって天皇のことを否定することは、ものによってはありなのではないだろうか。いかなる理由があったとしても、それを抜きにして天皇を否定してはならないというのは、天皇を権威化や教条化することであって、正しいあり方とは必ずしも言いがたい。

 天皇をかりに王であるとすると、王のことを批判することはあってもよいのではないだろうか。少しくらい否定されても、王の側がそれを許容するべきだろう。それくらいのことを許容できないのは、王としての器があまりにも小さすぎる。

 日本の天皇制とはちがうものだから、単純に比べるのはまちがいかもしれないが、イギリスの王室では、けっこうイギリスの国民からの批判が投げかけられることがあるそうである。王室と国民との距離がわりあい近いからこそできることだという。日本ではその距離は遠いと言えるだろう。

 王とはいっても、じっさいには聖人君子ではないのだし、神でもないし、人間なのだから、欠点がない人格者だと見なすのには無理がある。聖人みたいに見なすのは人為でつくられた虚像であって、じっさいの姿(実像)だとは必ずしも言えそうにはない。こうあるべきだとする姿みたいなのを一方的に押しつけてしまっているおそれがある。

 参照文献 『近代天皇論 「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀(もりひで) 島薗(しまぞの)進 『科学との正しい付き合い方 疑うことからはじめよう』内田麻理香 『イギリスはかしこい』出口保夫(でぐちやすお) 林望(はやしのぞむ)