金品を受けとるのを断るのが怖かったというのは、見かたを変えてみれば、別な意味で怖い―巨大な電力会社の判断能力に怖さを感じる

 関西電力は、会社の役員と役人(助役)とのあいだで、巨額の金品のやり取りが行なわれていたことがとり沙汰されている。金品の中には、小判や金の延べ棒が含まれていたという。時代劇のようだとの声があがっている。

 関西電力の社長や会長は会見で、金品を無理やりに押しつけられたと言っていた。断るのが怖かったのだという。この社長や会長の言いぶんは、電力会社という社会的責任が問われる組織であるのにも関わらず、会社の全体が無責任体制となっていることが見てとれる。問題の先送りをするのや、危機に対応することを避けてきていまにいたっている。問題が発覚したあとになっても、いまもってして危機に対応することができていず、そこから逃れようとしている。

 関西電力の金品の受けわたしについては、日本人が既成事実に弱いということが示されているのだととらえられる。既成事実となっていることについて、抗うということができづらい。慣習となっていることがあるさいに、たとえそれが悪いことであったとしても、さからいづらい。慣習は他律だ。しきたりである。

 慣習やしきたりがおかしいことなのであれば、その慣習やしきたりを改めようとすることがいるが、それは反省だ。自律である。この自律が欠けてしまっていると、既成事実となっていることを自明なものやことであるとして、それが自然なものだと見なされる。それがそのまま引きつづく。神話作用だ。

 西洋人は絶対の主体(absolute subject)であることで、個が自立しやすいが、日本人は関係の主体(referential subject)なので、個が自立しづらい。絶対の主体と関係の主体は、社会心理学で言われていることだという。

 日本では西洋のような絶対の主体ではなく関係の主体であることによって、個人主義ではなくて、集団主義や小集団主義となりやすいところがある。小集団主義というのは、個人主義集団主義の悪いところが合わさったものだ。法の規則ではなくて、集団の内のおきてが重んじられることになって、組織の不祥事がおきることにつながる。

 参照文献 『頭がいい人の早わかり現代の論点』樋口裕一 『法律より怖い「会社の掟」』稲垣重雄 『絶対幸福主義』浅田次郎倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき) 熊野純彦(くまのすみひこ)編 『私は女性にしか期待しない』松田道雄 『知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ』苅谷剛彦(かりやたけひこ) 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安 大貫功雄訳