台風の被害と政治における優先順位―民の生活を安んじることが軽んじられているのではないか

 台風一五号によって、千葉県をはじめとしたいくつかの地域において、大きな被害がおきているという。大きな被害がおきた県は、台風が直撃したところだ。それで、電柱が倒れたり家屋が壊れたりして、停電しているところがいまだにつづいていると報じられている。

 台風がやって来て、千葉県をはじめとしたいくつかの地域で大きな被害がおきたが、それについていまの時の政権は、初動の対応がおざなりになってしまったのではないだろうか。それでウェブでは時の政権による対応のおざなりさについて批判の声がおきている。

 なぜそうなったのかというと、一つには、時の政権は台風がやって来た直後に内閣改造の発表をひかえていたせいだ。その発表を時の政権は大きなもよおしとして重んじていたために、台風の被害についての対応がおざなりになった。

 韓国の大統領は、今回の日本でおきた台風の被害について、それをおもんばかるようなことを言ったのだということが、ツイッターのツイートでは言われていた。隣国の大統領が、日本の台風の被害について、わりと早めにおもんばかることを言ってくれているのに、日本の時の政権をになう首相の口からは、それについて触れることがなされず、またはあと回しということになった。それよりも内閣改造の発表と憲法の改正を目ざすことがより優先された。

 政治というのは、民の生活を安んじることが大切だろう。そのためにできることが、時の政権には、台風などの自然災害などがやって来る事前および事後において色々とあるのではないだろうか。それらの色々とあることをいまの時の政権はしっかりとやっているのだとは見なしづらい。

 それについては、災害が起きたあとでは、時の政権はよけいなことをやろうとして出しゃばらないで、現場がやっていることにいちいち介入しないほうがよいのだということが言われていた。たしかにそういうことは言えるのだろうが、現場のじゃまにならない形で、じゃまにならないことでできることが、時の政権には色々とあるはずだ。たとえば被害にあっている民の心をおもんばかるようなことを第一に優先させて十分に触れることなどだ。それらをやらないでいる理由はとくにありそうにはない。

 政治において優先順位というのがあるとすると、いまの時の政権は、自分たちのことを支持してくれる顔の見える有権者のほうに目を向けすぎではないだろうか。その顔の見える有権者というのは、特別利益団体をさす。そういった団体や政権と意見を共にする人たちの心を引きとめておけば、多量の票を安定して得られる見こみが高いのだ。そうしたところに目を向けすぎであって、そのせいで広くいる(顔の見えづらい)有権者の生活の安定が崩れやすくなっていて、それが今回の台風の直撃による被害をより大きくしてしまった。初動が立ち遅れて、対応が後手に回ってしまった。そういうことが言えるのではないだろうか。

 今回の台風の被害とはじかには関わらないことかもしれないが、いまの時の政権は、社会にいる弱者を少しでも救い出そうとする意識が高いのだということはできそうにない。社会にいる弱者というのは、その弱者が自分の責任によって生活に困ることになるというのではなくて、焦点を当てることがいるのは(個人ではなく)社会の方である。社会が弱者を社会から追い出したりしめ出したりしてしまう。

 社会の悪いところを改めて、個人が社会から追い出されたりしめ出されたりすることがおきないようにしないとならない。そこに力を入れることを社会的努力と言うが、それが不十分になっているのがいまの時の政権であって、民の生活を安んじるということが満足にできていないのではないだろうか。

 福祉というのは英語で welfare と言い、well は快いや健全にをさす。fare は生活や、やって行くことをさす。快くて健全な生活ができている人と、それができない人とで、社会の中で分断がおきているのだとまずい。分断することによって上と下とのあいだに相互作用がおきて、社会の全体に不安がまん延する。

 参照文献 『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎 『究極の思考術』木山泰嗣(ひろつぐ) 『若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『社会福祉とは何か』大久保秀子 一番ヶ瀬(いちばんがせ)康子監修 『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』阿部彩(あべあや) 『ここがおかしい日本の社会保障山田昌弘