ツイッターのリツイートは、もとの投稿に賛同の意を示すものだ、という裁判で示された見解には、うなずけないところがある

 ツイッターリツイートをするのは、もとのツイートに賛同することを示す。もとのツイートに賛同する意思を示す表現行為だ。ふつうに読めばそうだ。裁判でそういう判決が示された。この判決には個人としてはやや違和感をおぼえた。

 まず一つには、ツイッターリツイートというのは、それをすることによってもとのツイートに賛同することになるのかそれともそうではないのかというのを、ツイッター社にうかがうべきではないだろうか。ツイッター社がツイッターをつくって運営しているのだから、ツイッター社がどういうつもりなのかをくみ入れることがあってよい。

 じっさいに、ツイッターリツイートは、もとのツイートに賛同するということで使われているのだろうか。賛同ではないことでもリツイートはしばしば使われているのではないだろうか。もしそうだとすると、裁判の判決で言っていることは、必ずしも事実ではないことになるから、信頼性や信ぴょう性に難がある。

 ツイッターリツイートをすることが、もとのツイートに賛同することになるのであれば、リツイートをすることが、もとのツイートに賛同することを含意することになる。リツイートをするのは、もとのツイートに賛同するということで、閉じているということだ。そのように閉じているというよりは、開いていると言ったほうがふさわしくて、使い方は人それぞれによってさまざまとなっているのだとすると、閉じているとまでは言えそうにない。

 閉じたあり方になっていて、リツイートをすることが、もとのツイートに賛同することを含意するといったような、きっちりとした原因と結果の因果関係がなりたつとはできづらく、相関することがあるといったくらいの開いたものだと見られる。賛同だという単一の解釈は必然性だが、そうではなくて複数の解釈の可能性がなりたつと見られる。決定不可能性だ。何かを引用するさいには、それを肯定することもあるが否定することもまたある。なので、裁判で示された見解については、個人としてはあまり賛同できない。もしそれがかりにツイートなのだとして、裁判で言われていることに従うのであれば、リツイートはできそうにない。

 参照文献 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『論理的に考えること』山下正男 『打たれ強くなるための読書術』東郷雄二