法治の国というよりも、おきてがとられてしまっているのが、いまの日本(の時の政権)だと見られる

 日本は法治国家だ。だが韓国は人治国家だ。識者はそう言っていた。

 日本の国は法治で文明的で、韓国は人治で非文明というのは、はたして言えることなのだろうか。

  日本と韓国とは、ともに同じ民主主義の国で、自由主義や資本主義なのだから、そこまで国の体制としてちがいがあるとは言えそうにない。かなり似ているということが言えるだろう。

 日本の国のお家芸というか伝統としては、公において記録した大事なものをきちんと残さないのがある。先の大戦では、敗戦のときに、あとでまずいことが分からないようにということで、公の記録を焼却して処分した。それで(文書を焼く)煙がもうもうと上がっていたのだという。

 あとで役に立つように記録を残しておくのは文明のあり方の基本だろう。日本の国はそれがきちんとできているのかというと、心もとないところが多いのではないだろうか。韓国のことを非文明的だと言うくらいに、日本がほんとうに文明的だとは見なしづらい。

 日本の国は法治というよりは、むしろおきてが支配するようになっているのではないだろうか。法治であれば、理想的には、正直、公正、といったことになる。そうではなくておきてが支配してしまっていて、組織の上の者にとり入るような、たいこ持ちや茶坊主が多く組織の中や外におきているのだとまずい。

 政治の政党である与党の自由民主党によるいまの政権では、(あくまでも理想的なものではあるが)正直と公正による法治というよりは、おきてがものを言うようになっている。それによって、いまの時の政権は、いくつものうみを溜(た)めこんでいるようだ。それを外に吐き出せていない。

 いまの時の政権は、新しい大臣の人事を発表したが、そのさいに首相は、憲法の改正を強く目ざすということを言っていた。これは、目的と手段が転倒してしまっているように見うけられる。

 何かの目的があって、それで手段として憲法の改正を目ざすというのならまだ分からないではないが、憲法の改正を目的にしてしまってどうするのだろうか。目的そのものにはある程度の柔軟さがいるし、目的にたいする手段にも柔軟さがあってよいはずだ。

 目的と手段が転倒してしまったり、その二つが硬直すぎたりするのはよくない。時の政権がそんなふうでいて、日本の国は法治なのだというのは、ちょっと納得できづらい。法治だというのなら、筋としてはまずいまの憲法をきちんと守るようにすることが先だろう。

 筋として、まずいまの憲法を守るようにすることがいるという点については、そうではないという意見があるかもしれない。その点については、そもそもの話として、いまの憲法が持つ、過去の時点や未来への認識や、何をどのようによしとしたり悪いとしたりするのかの評価や、どういうふうにせよという規範の指令があるものだろう。

 植物でいうと、いまの憲法というのは、どういう根なのかや、どういう茎なのかや、どういう花なのかというのがある。それに加えて葉もある。それらを見て行くことがあるとのぞましい。

 根というのは、何か他のもののためになるものなのをさす。ほかのものにとっての根になる。茎というのは、ほかからの影響を受けていることによる。そこでどういうことが明らかにされているのかや、どういう問題を示しているのかなどの、わりあい目だちづらいことだ。花は、どういう正や負の影響を外に与えているのかだ。葉は、それがつくられたときに何に影響を受けたかや、どういう声を受けとめているのかや、時代の状況などだ。葉が受けた光を植物が自分の養分とする。

 いまの時の政権は、その中心にいる首相が、憲法の改正を目ざしているのだから、それは、憲法の改正をするのがよい(そうせよ)という指令を持っているということだ。そのさいに、過去や現在や未来にたいしてどういう認識を持っているのかや、何をどのようによしとしたり悪いとしたりという評価についてを、明らかにすることがいるのではないだろうか。認識と評価と指令や、どういうすじ道によっているのかというのを、切り分けて見るようにして、それぞれを見て行くことがいる。

 ただたんに、こうするのがよいという指令として、憲法の改正を目ざすということでは、認識がどうなっているのかや、評価がどうなのかというのが、よく分かりづらいし、認識に働いているゆがみを見てみることがいる。すごく認識がゆがんでいるのであれば、それをそのままに放ったらかしにすることはできづらい。公のことがらでは、みんなに関わることになるからだ。

 いまの憲法に関して、たとえそれを変えることを目ざすのだとしても、政権はそのことについてもっと議論や説明を十分におこなって、手つづきである途中の過程をかなり慎重にふんで行かないと、いまの政権が目的と手段を転倒させてしまうまちがいを避けづらい。それでは日本の国が法治だということはできそうにない。

 参照文献 『法律より怖い「会社の掟」』稲垣重雄 『三人で本を読む 鼎談書評』丸谷才一 木村尚三郎 山崎正和 『難解な本を読む技術』高田明典(あきのり)