日本の国に欠けていると見られる、理と気の枠組みにおける理と気―体系のとらえ方と試し(エセー)の精神

 日本と韓国のあいだで関係が悪化してしまっている。そのことにおいて、理と気の枠組みで見てみると、この二つのどちらにおいても、日本の国にはまずさがあるのではないだろうか。

 まず理から言うと、それには色々なものがあるのはあるけど、そのうちで、日本の国は原因や要因の分析ができていない。

 なにか問題がおきたときには、それがおきたという現象について、原因を探るようにすることがいる。そのさいに役立つのが、体系のとらえ方だ。

 体系のとらえ方では、その問題について、何が要因になっているのかを、できるだけたくさんあげて行く。いろいろな要因があって、それで問題がおきているのだから、それを漏(も)らさないようにする。漏れてしまっていたら、肝心なことをうっかりと見落とすことになってしまう。

 ものごとを整理するやり方に MECE というのがある。これはミーシーまたはミッシーと言われる。それぞれ、mutually は相互に、exclusive は重複せず、collectively は全体として、exhaustive は漏れがないをさす。そうしたように、できるだけ問題について、広い視点を持つようにして、その中のさまざまなことを漏らさないように見て行けると有益だ。日本のいまの時の政権は、これができていないようで、せまい見かたになってしまっているのではないだろうか。

 目標とか論点とかでは、単一ではなくて多重の見なし方がなりたつ。多重というのは、ただたんに一つだけの目標や論点があるだけではなくて、それらがいくつもあるのをさす。大と中と小がある。大はこれで、そのつぎに中ではさまざまな目標や論点があって、さらに小ではまたさまざまな目標や論点がある。それらのうちで、どの目標や論点をあつかっているのかというふうに見て行くと、整理がしやすい。

 理とはべつに、気においては、理のように体系でとらえたり、または合理でこうだと決めつけたりするのではなくて、もっとゆるいやり方をすることができる。緊張と緩和でいうと、緩和の方向にもって行く。それでゆるめて行こうというものだ。

 気によるやり方では、ユニクロ柳井正氏が言っているように、一勝九敗みたいなやり方ができる。絶対に何がなんでもこうでないとならないというのが理だとすると、そうではなくて、気においては、一〇回に一回うまく行けばよいのだとする。それで、残りの九回のうまく行かなかったことについては、傷が浅いうちにすぐに引き返せるようにする。

 日本のいまの時の政権というのは、立ち場の都合もあるだろうけど、けっこう固い理によるあり方になっているように見うけられる。そうであるのにも関わらず、理においては問題についての原因や要因の分析ができていないし、体系のとらえ方ができていない。それで、気においては、そもそも気によるゆるめたあり方がとりづらいのがあるし、ちょっとでもよくして行こうとか、駄目でもともとというような、部分的な工学的な発想を持ってはいないようだ。

 参照文献 『通勤大学 MBAクリティカル・シンキング』青井倫一(みちかず) グローバルタスクフォース 『企画力 無から有を生む本』多湖輝(たごあきら) 『考える技術』大前研一 『日本を変える「知」 「二一世紀の教養」を身につける』芹沢一也(せりざわかずや) 荻上チキ編 飯田泰之他 『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム』小倉紀蔵(きぞう) 『トランスモダンの作法』今村仁司他 『論点思考 BCG 流問題設定の技術』内田和成(かずなり) 『情報検索のスキル 未知の問題をどう解くか』三輪眞木子(みわまきこ)