関心を持つことと、関心を育てること―温度の高低

 テレビやラジオなどの報道で言われていることに影響を受ける。それは自分がほんとうに関心を持っていることにはならず、流されてしまっていることになる。報道で言われていることではないことに関心を向けたほうが、自分にとってのぞましいことになる。そう言われていた。

 たしかに、テレビやラジオなどの報道で連日にわたって大きく報じられていることが、ほんとうに意味のあることなのかどうかと言えば、そこには疑問符がつく。報道で言われていることに流されてしまっているところがあることは否定できそうにない。

 一か〇かや白か黒かといったことではないとすると、肝心なのは自分の関心を育てて行くことなのではないだろうか。自分の関心を育てて行くためには、あるていど報道で言われていることに持続して接しつづけていたほうが役に立つ。

 温度で言うと、温度の最低が〇度で最高が一〇〇度であるとして、最低である〇度であるのは危険だ。その危険さというのは、自分が知らないうちに世の中がおかしくなっていて、戦争に巻きこまれるということがないではないからだ。これはかなり極端な話ではあるが、まったく可能性がないとまでは言えそうにない。

 温度で言うと、最高である一〇〇度までは行かなくてもよいかもしれないし、そこまでは行けないだろうけど、あるていど以上の温度を自分の中で保ちつづけておくと有益だ。それが関心を育てることにつながって行く。

 最低限の関心をもつ。温度が〇度に落ちこむのを防ぐ。そのための手だてとしては、政治への関心においては、毎日の新聞の政治と経済面の見出しにだけは目を通しておく。そしてよゆうがあったら気になった記事を見てみる。それがよいそうだ。

 人にはそれぞれに色々な事情や状況があるから、いちがいにこうしたほうがよいとは言えないけど、できることなら自分の中の温度をやや高めに保っておいて、最低の〇度には落ちこまないようにして、報道で言われていることにも関心を持っておいたほうがよいと言えるだろう。

 そうとは言え、それができなかったとしても、とくに問題はないかもしれないし、またできたところでお金がもうかるという意味では得になるのではないが。それに、何に関心をもったら一番のぞましいのかというのは、これといったはっきりとした答えはないかもしれないし、日々の報道の情報なんかにかまけていないほうがよいのだというのは、それなり以上に説得性がある。

 参照文献 『新聞の読みかた』岸本重陳(しげのぶ) 『一三歳は二度あるか 現在を生きる自分を考える』吉本隆明 『若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり)