アメリカからとうもろこしを買わされる日本―アメリカの共和政と日本の権威主義

 日本はアメリカからとうもろこしを輸入することになった。アメリカのドナルド・トランプ大統領は、日本の安倍晋三首相とのやり取りの中で、こう言っていた。

 日本では、国家の権力者が民間にたいしてとうもろこしを使えと言えば、民間はそれに従うようだ。日本とはちがってアメリカはそうではない。われわれの国であるアメリカは日本とはちがう。

 国家の権力者が民間にたいしてこうしろと言っても、民間はそのままそれにすなおに従うのではないのがアメリカだということだろう。これはアメリカが共和政であることを示しているととらえられそうだ。

 共和政では、国の長が王さまのようになることを避けるものだとされる。有権者である国民が政治の主役であるということだ。国の権力を分散させて抑制と均衡(チェックアンドバランス)の仕組みをきかせる。またアメリカでは、大統領よりも議会のほうが上に位置づけられているとされる。大統領よりも上にあるのが議会で、それを監視するのが大統領の役だという。

 アメリカと比べて、日本は国家の権力者である首相がこうしろと言えば、民間はそれにすなおに従うとすると、アメリカのように共和政であるとは言えそうにない。それはどういうことかというと、日本では王さまのような専制の権力者を生み出すことをより許しやすいということだ。

 日本では民主主義というよりも官僚が支配する官治によっている(よって来た)のがある。権力者である政治家や官僚がこうしろと言えば、民間や国民はそれに従わせられるはめになることが少なくはない。かつての自由民主党は、省庁である大蔵省の官僚をいちばん頼りにしていたが、いまではその頼りとなる大蔵省(財務省)その他の官僚は大きくは頼りにならない。これからの日本をどうするのかを方向づける大胆ですぐれた政策をつくる力が官僚にあるとは見なしづらい。官僚にはえてして保守性と付和雷同性があるからだ。

 政権をになう自民党の政治家は、大衆迎合主義としてはある一定の支持はされているものの、政治の力能や力量が高いとはどうも言えそうにない。むしろ政権をになう政治家のもつ政治の力能や力量が低くて、見識が疑われることが少なくない。それで日本の社会は行くべき方向が定まらずに迷走しているように見うけられる。方向がわからず迷走しているが、(司法と立法と行政の)三権の分立ではなくて一権のようになっていることで効率だけはよいという変なことになっている。第四の権力である大手の報道機関が日本の国内の政治権力にたいする監視が十分にできていないのも無視できない。

 参照文献 『官僚は失敗に気づかない』平野拓也 『勝負論』竹中平蔵 『日本政治 ひざ打ち問答』御厨貴(みくりやたかし) 芹川洋一(せりかわよういち) 『政治の終焉』御厨貴 松原隆一郎(まつばらりゅういちろう) 『日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた』元木昌彦