愛国や、愛国による時の政権がもつ欠点―外発の動機づけと内発の動機づけ

 愛国は、日本をよしとすることだ。愛国による政権であれば、その政権をよしとすることは、愛国であることにつながる。

 愛国や、愛国による政権をよしとすることに、欠点はないのか。その欠点としては、外発の動機づけになってしまうことがあげられる。

 愛国というのは、日本のことをよしとしたりほめたりすることだ。そのように日本のことをよしとしたりほめたりすることによって、外発の動機づけがとられることになる。これが日本をかえって駄目にしてしまい、腐らせて(スポイルさせて)しまうことになる危なさがある。

 日本を悪い方向に行かせないようにするためには、日本のことをほめたりよしとしたりすることだけに甘んじてしまい、外発の動機づけとなることを避けるようにすることが有効だ。できるだけ外発の動機づけにならないようにして、内発の動機づけになるようにする。動機づけが外発だけにかたよらないようにして多重になるようにすることも効果的だ。

 たとえ日本のことや時の政権が、ほめられなくてもよしとされなくても、お金や票を得ることにならなくても、やるべきことや言うべきことはしゅくしゅくと言うようにしたり、さまざまな声を許容して受けとめるようにしたりするほうが、内発の動機づけがとれるのでよいのではないだろうか。

 外発の動機づけによる商業主義や(政治家であれば)票を得るのや承認の欲求だけにかまけるのは避けたいところだ。人間のやることだから、完全に純粋な動機づけをもつのはできづらいので、それらから出発するのはあるていどは避けられないにしても、それらだけにとどまりつづけるのではなくて、内発の動機づけにも意識を向けることが、政治家や大手の報道機関にはとくに求められる。

 参照文献 『学ぶ意欲の心理学』市川伸一 『ほめるな』伊藤進