国際法を守れ、という原則論―国際社会は、法(原則)の支配ではなく、力(軍事力)の支配になっているのではないか

 韓国は、国際法を守るべきだ。日本の外務相は、韓国にたいしてそう言っている。過去の戦争にまつわる補償や賠償を韓国が求めることは、日本と韓国が結んだ国際的な約束に反している、ということだろう。これは原則論によるものだと言える。

 国際社会では、原則論における原則がきっちりと守られているのかというと、そうとは言えそうにない。国際社会における原則がきっちりと守られていれば、戦争がおきることはないし、軍備を持ったり増強したりすることはいらないが、現実はそうはなっていない。国際的な決まりは守られず、とくにアメリカなどの大国によって破られることが少なくない。

 アメリカなどの大国は強者なのだから、そうした強者が国際的な決まりを破って、戦争をしたり武力を用いたりするのはよいことではない。ほんらいであれば、それぞれの国が国際的な決まりをしっかりと守っていれば、戦争はおきなくなるし、軍備を持ったり増強したりすることはいらなくなるが、現実はその方向とは逆に動いていると見なさざるをえない。

 日本は、国際法を守るべきだということで、韓国にたいして原則論を持ち出しているが、その原則の持ち出し方は恣意によっているのがある。また、ほんらい法による決まりというのは強者に有利なようであってはならないものであって、弱者を守るようになっていることがいる。

 戦前や戦時中においてや、いま(にいたるまで)においても、韓国にたいして日本はどちらかというと強者だ。相対のちがいではあるものの、日本は強者(自国)ではなくて弱者(韓国)の目線に立って見ることがいる。日本は自国の目線だけにかまけていて、他国である韓国の置かれている状況をくみ入れた目線に立つことをないがしろにしている。日本は自国の目線だけではなく、他国である韓国の置かれた状況をくみ入れた目線にも立つようにすれば、それがひいては日本のためにもなることなのではないだろうか。

 参照文献 『法とは何か』渡辺洋三 『究極の思考術』木山泰嗣(ひろつぐ) 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし)