権威主義における自転車反応と、日本の全体がペダル化するおそれ

 上にはぺこぺこする。下にはえらそうに横柄にする。権威主義において見られるもので、自転車反応というそうだ。

 自転車をこぐときには、上半身は前に傾いている。これが、上にたいしてぺこぺこすることをあらわす。足はペダルをこぐが、下にあるペダルを足で踏みつけにする。下にたいするあり方を示す。

 日本のほかの国との関わり方を見てみると、上に当たるアメリカなどの大国にはやたらと日本の首相はぺこぺことしている。そのいっぽうで、下に当たる韓国などには強い姿勢でのぞんでいる。下とはいっても、韓国のほうが日本よりも上なところは色々とあるだろうから、ほんとうに下というのではないものではあるが。

 日本の国内では、本土は上で、沖縄県は下ということで、沖縄県アメリカ軍の基地の負担を押しつけているのがある。日本の政府は、アメリカには弱いが、沖縄県には強気でのぞんでいる。さまざまな声があるのは確かだが、日本の政府は人々の声を受けとめることができていない。

 大に事(つか)える事大(じだい)主義ということで、権威主義による自転車反応がとられているのがある。これの行きつく先は、独裁制となるのがあるから、気をつけることがいる。

 自転車反応で、自転車のペダルのように踏みつけられることになるのは、受け入れられるものではない。ペダルである、下に位置するのは、できればそうなりたくないものだ。

 ペダルに当たるのは、けっして他人ごとだということは言えそうにない。日本の全体が、ペダル化するのだということは、ないではないことだ。日本の全体がペダル化するというのは、日本の社会のあり方が劣悪になるということだ。全体がどうかということはともかくとして、すでに部分としては劣悪なところがいくつもあることはいなめない。これを全体のペダル化の予兆(兆候)と見ることもできないではないことだろう。

 参照文献 『弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』阿部彩(あべあや)