社会の中における階層のあいだで負の相互作用がはたらくのと、与党と野党のあいだで負の相互作用がはたらくのがある

 いまはそれなりにお金を稼げている。ぜいたくを言わなければ暮らして行ける。だからいまの与党である自由民主党を支持している。そういう若者や壮年の意見が新聞の記事では言われていた。

 たしかに、いま自分が生活にそれなりに満足していて、大きな不満がないのであれば、いまの与党を支持するというのは、そこまでまちがった選択のしかたではないだろう。

 いま自分が満足しているから、いまの与党を支持する。それはそれでよいのはあるが、はたしてそれだけでよいのだろうか。それを疑うさいに、相互作用をもち出せる。

 いまの社会は、みんながそれなりに満足して生活できている、とは言えそうにない。弱者によりしわ寄せが行っている。自己責任だということで、弱者がさらに弱くなることで、それは弱者だけのことにとどまらない。全体に負の影響がおよぶ。不安が全体をおおうことになる。

 運がある者が生き残るといったような、運者生存のあり方になってしまっているのが、いまの世の中にはある。資本主義で、市場原理をとる中において、人間を商品のようにして価値をはかっている。これは交換価値だ。

 交換価値によるのではなく、いくら稼ごうとも、いくら稼がなくとも、人間がもつ使用価値(非経済的価値)を重んじるのがよいのではないだろうか。それを重んじて、まっとうな生き方や生活をすべての人が送れるようにする。

 貧困におかれると、たんにお金が無いだけではなくて、はく奪や社会的排除となる。基本的必要(ベーシック・ニーズ)を満たせなくなる。そうならないようにして、だれもが恥ずかしくない生き方ができるようにして、(最低限の)衣食住を満たせるようにしたいものだ。

 社会的包摂によるのぞましいあり方とは逆行しているのや、そうして行くのに無策であるのが、いまの与党である自民党のあり方なのだと、個人としては言わざるをえない。

 参照文献 『ここがおかしい日本の社会保障山田昌弘 『大貧困社会』駒村康平(こまむらこうへい) 『福祉が壊れる』杉山博昭