憲法の改正について、議論すらしないのが野党だ。それとはちがい、議論しようとしているのがいまの与党だ。首相はそう二つに分けていた。
憲法の改正の議論ということでは、その議論がゆがめられないことが大切だ。いまのところ、憲法の改正の議論はいちじるしくゆがめられるおそれが高い。そうなるおそれが高いのは、与党である自民党と巨大な広告企業である電通との結びつきが強いからだ。
憲法の改正をするということで、自民党が電通を通して大量の広告を流したら、憲法の改正の議論はいちじるしくゆがめられることになる。公正な議論になることはのぞめない。
自民党が自分たちのもつ多額の資金を使って、結びつきの強い巨大な広告企業である電通を通して、憲法の改正をよしとする広告を大量に流すのは、健全な議論がなりたたないことが危ぶまれる。
広告のあり方をきちんとして、公正なやり方でやったとしても、うまく行くとは限らないのだ。うまく行かないというのは、あとに深い禍根(かこん)が残りかねないのである。日本よりもよほどしっかりしたあり方のイギリスでさえ、欧州連合を離脱するかどうかの国民による直接投票では、あとに禍根が残っている。
野党は、議論をしようとさえしていない、ということだが、それももっともなところはあるのだ。きちんとした議論が行なえる下地が整っていない。不信感がある中で、価値を共有することができていない。与党である自民党に向けられた不信感を払しょくする責任は、与党が自分たちで行なうべきだろう。