年金一〇〇年安心と、(すべてのではないかもしれないが)国民の毎日や毎月の生活の苦労や負担や大変

 年金は一〇〇年安心だ。与党の政治家や高級な役人はそう言う。一〇〇年安心というよりも、時間軸を短くして、国民の毎日が苦労だとか大変だとか、毎月が苦労だとか大変だというのを何とかすることがいる。

 すべての国民が苦労や大変な目にあっているというのではないかもしれないが、毎日の労働や、毎月の経済の負担が重くのしかかっている国民は少なくはないだろう。

 金融庁の高級な役人は、国民にたいして、年金だけでは生活ができないから、二〇〇〇万円を貯めるように、という報告書を出したとされる。この報告書は、与党である自由民主党にとって都合が悪かったということで、報告書そのものをなかったことにしようとしている。

 金融庁の報告書をめぐるてんまつでは、what(なに)はあっても、why(なぜ)がないことがまずいのではないだろうか。年金だけでは国民が生活して行くのにお金が足りないとか、二〇〇〇万円を貯めろとかというのは、what(なに)ではあっても、why(なぜ)ではない。なぜ、の視点が欠けているのだ。

 なぜ、の視点で、どういうわけでそうなのかというのを深く掘り下げて行くことがいるだろう。そうしてみると、これまでの与党の政治家や、高級な役人がしでかしてきた、いくつもの失敗やでたらめがあるはずだ。というのも、年金の制度というのは、高級な役人がつくったものなのがある。そこにある欠陥や失敗を、あたかもないことであるかのようにしたい思わくがあるという察しがつく。

 国民にたいして、年金についての、納得が行くような説明をしてほしいものだ。そのためには、what(なに)だけではきわめて不十分なのであって、どういうわけでそうなのかといううしろ向きのふり返りを十分にして、why(なぜ)で深く掘り下げて行くようにすることがいる。

 参照文献 『「Why 型思考」が仕事を変える』細谷功(ほそやいさお)