省庁の報告書をないことにしようとする、自由民主党による魔術的写実主義(マジック・リアリズム)

 報告書はないことになった。自由民主党の議員はそう言った。

 年金だけでは生活できないから、老後のために二〇〇〇万円を貯めろ、と金融庁は報告書で言っていたとされる。この報告書が年金の不安を国民にあおるということで、自民党の議員はないことにしようとしているのだ。

 あたかも、文学で言われるような、魔術的写実主義(マジック・リアリズム)が、自民党の中では通用しているかのようだ。ふつうの写実主義(現実主義)であれば、ひとたび出された報告書をなかったことにできるものではない。

 報告書はすでに出されていて、何らかの内容をもったものなのだから、それについてよいとか悪いとかいうのはあってよいことだというのがある。それそのものをないことにして撤回しようとする動きが自民党ではとられているが、これは国民にたいして益になるものとは言えそうにない。

 年金の制度におかしいところがあるのなら、それを表ざたにして、微調整をするなり改革をするなりするのがよいのではないだろうか。与党の政治家や高級な役人は、自分たちのこれまでの失敗を認めたくないがために、自分たちがこれまでにやってきたいくつものまちがいや失態をひた隠しにしようとしているように見えてならない。

 年金が一〇〇年安心というよりも、与党の政治家や高級な役人がやっていることや、これまでにやってきたことには、とうてい安心することはできないのだし、不安なことは色々ある。個人的なことを言わせてもらえるとすれば、そう言えるのがある。

 与党の政治家や高級な役人は、選良と呼べるほどに優秀だとは言いがたく、メッキがぼろぼろとはがれてきているのではないだろうか。与党の政治家や高級な役人は優秀だということで、安心できるといったような、神話が崩れてきていて、通じなくなってきている。一部ではまだそれが通じているのかもしれないが。大きな物語として、全体をおおえるに十分なほどに、与党の政治家や高級な役人のことをたのもしいと見なすことはできづらいのはたしかだろう。

 これから先について、何とかなるだろうという安定した見通しや、持続性(サスティナビリティ)や連続性があるとするのは、そこまでしっかりしたものだとは言えないところがある。先のことに不透明さがおきている。不安定さやぜい弱性が政治や社会におきているととらえられる。楽観論で見ればまた別の見かたができるが、悲観論で見るとすれば、そうした見かたがなりたつ。

 参照文献 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり)