岡目と非岡目

 評論家や知識人(インテリ)や学者は、ただ言うだけのことだ。そうではなくて、じっさいに行動をしてものごとを動かす政治家などのほうが、優れているし、価値がある。実行することにこそ価値がある。いまの首相や元政治家はそう言っている。はたしてほんとうにそう言えるのだろうか。

 ことわざには、岡目八目というのがある。評論家や知識人や学者というのは、いわば岡目というのをもっているのではないだろうか。岡目には八目の有利があるということだ。八目の有利というのは、囲碁においてのものである。八手ほど有利となる。

 岡目の岡というのには、脇のとか、正規ではない、といった意味があるのだという。岡がつく言い方としては、岡惚(ぼ)れとか、岡場所といったものがある。

 すべての評論家や知識人や学者が、おしなべて岡目をもっていて、八目の有利をもつ、とは言えないかもしれない。そうは言うものの、おうおうにして八目の有利を持つことがあるのではないだろうか。その点で、逆に言うと、政治家などのじっさいの当事(実行)者は、八目ほど不利なのだ。ゆえに謙虚にさまざまな意見に耳を傾けるべきではないだろうか。

 参照文献 『左巻きの時計』阿刀田高(あとうだたかし)