対米従属で、アメリカの尻に日本がくっついて行くことが、日本の国の夢なのだろうか

 国際社会における日本の地位は向上している。財務相はそう言っている。これまでの日本の歴代首相が夢にまで見た、日本とアメリカの密接な関係がとられているというのだ。

 財務相は、日本とアメリカの密な関係は、ほかの国がやっかむほどだと言う。それで日本の国際的な地位が上がっているというのだが、はたしてそうだと言えるのだろうか。

 日本とアメリカの首脳どうしが仲よくなることで、日本の国際的な地位が上がっていると財務相は言っているが、この見なし方には個人的にはうなずきづらい。いったいどのような思考回路を経て、財務相はこのような見なし方をとるのだろうか。

 財務相は、日本とアメリカの首脳どうしが信頼関係があると言っているのだが、これには疑問符がつく。信頼関係があるということなら、お互いに尊重し合う対等な関係なはずだが、現実はそうなっているとは言いがたい。日本はアメリカの手下やしもべのようになってしまっている。

 日本の国際的な地位が上がっているというのなら、日本は国として主体性がなければならない。ところがじっさいには、主体性が欠けているように見えてならない。大国には弱腰やおよび腰になってこびへつらい、そうではない一部の弱い国(近隣国)には夜郎自大で居丈高になっているようだ。これは大に事(つか)える事大主義のあり方だ。西洋のような自立性のある絶対の主体ではなく、関係の主体となっているのが日本だろう。

 いまの首相は、たんにアメリカの大統領と仲よくしさえすればよいということで、思考停止しているように見うけられる。アメリカの大統領と仲よくしようとして、とり入ろうとしたりこびへつらったりしたとしても、アメリカの大統領に足元を見られているとすれば、もくろみは功を奏していない。

 日本とアメリカが仲よくすればするほどよいというのは、日本の政権がアメリカに依存しているしるしではないだろうか。参与(コミットメント)が上昇しているのだ。それでゆでがえる現象におちいってしまっている。

 アメリカがやっていることややろうとしていることが正しいのだとは言い切れそうにない。これまでにアメリカがやって来たことの中には、正しくないことが少なくはないだろう。そうしたことがあるし、アメリカが日本にたいしてよいことをしてくれるという確証はない。

 日本の首相は、アメリカにたいしてべったりとくっついていって一体化しようとするのではなくて、アメリカを対象化して距離をとることがいるのではないだろうか。アメリカは大国で力をもっているのだとしても、それだからといって正しいことをするわけではないのだから、力と正しさを切り分けるようにしないとならない。批判をもってアメリカのことを見ることがいる。

 参照文献 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『法律より怖い「会社の掟」』稲垣重雄 『組織論』桑田耕太郎 田尾雅夫