あるていど以上は日本とアメリカはすでに仲がよいのだから、ことさらに日本はアメリカをもてなしてもさしたる意味はない(仲が悪いのをもてなすのには意味がある)

 アメリカの大統領をもてなす。アメリカの大統領にとり入って親しくする。そうすればするほど日本にとって益になる。はたしてそう見なせるのだろうか。

 いまの首相は、アメリカの大統領にとり入ってもてなすことに、力を入れすぎているように映る。そこに一点張りしているというか、そこに賭け金を大きくかけすぎている。

 アメリカの大統領と、日本の首相が、仲よくすればするほど、日本にとって益になる、ということは必ずしも言えそうにない。仲よくするといっても、アメリカの大統領が本当はどう思っているのかという腹のうちはうかがい知れない。仲よくするといってもそれは表面的なものにとどまる。

 仲よくすることが悪いとは言えないが、度がすぎるのであればおかしくなりかねない。仲よくするという手段が目的化しているとすれば、手段と目的が転倒している。いったい何のためにアメリカの大統領を、日本の大相撲にまねいて、ざぶとんではなくわざわざソファを用意して、スリッパをはいて土俵にのってもらったのだろうか。客観として何の目的があるのかがよくわからない。

 あるていど以上に仲がよい者(国)どうしで、もてなしてもてなされるのは、有用性の回路の中でぐるぐると回っているだけだ。それにまったく意味がないとは言えないが、その回路から外れてこそ意味がおきてくる。そこから外れて、仲が悪い敵対者と関わり合うようにすることに、難しさと値うちがあるのだ。

 政治には協調と対立(敵対)がある。対立があるところに政治がある。アメリカと日本が、お互いに協調していますよ、というふうにいくらうわべでよそおったとしても、対立もまたあるのだ。対立しているところを隠して、協調しているところだけを見せかけても、対立がないことにはならない。

 日米地位協定のおかしさや、首都である東京都に他国(アメリカ)の軍事基地があるおかしさや、沖縄県アメリカ軍基地の負担が過度に重いことや、アメリカのまちがっているところについて、日本は目をつむって黙ったままでいてよいのだろうか。ほんとうの意味で、アメリカと日本が仲よくしていて協調しているのだとは言いがたい。アメリカの大統領は心のうちでは日本の首相によるとり入りやおべっかを軽べつしていはしないだろうか。

 参照文献 『現代政治理論』川崎修 杉田敦編 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋 山本達也