戦争をしてでも北方領土をロシアからとり返す。戦争をしないと北方領土は日本に返ってこないのではないか。国会議員はそう言っていた。
議員の発言における戦争というのは、北方領土をロシアから日本にとり返す手段ということだろうが、戦争というのは合理の手段になるものとは見なしづらい。
戦争とは合理のものではなく不合理のものだ。悪い形での蕩尽(とうじん)や消尽(しょうじん)ということだ。日本がこれまでに築いてきた富などが失われることになる。
戦争で相手に勝てば、日本は色々なものを得られる。そう見なせるのかと言えば、そうとはできないものだろう。勝っても負けても失うものは大きい。それはアメリカの国を見れば明らかではないだろうか。アメリカのような超大国であっても、戦争に勝てるとは限らず、自国の人間や富を大きく損なうことになる。
北方領土をロシアから日本にとり返すために、戦争も辞さないというのは、強迫観念(オブセッション)によるものなのではないだろうか。または、戦争でもしないととり返せないという固定観念(イデー・フィックス)によるものだ。
戦争への強迫観念におちいらないようにして、自国や他国の富を失うはめになるような蕩尽や消尽をとらないようにしたい。その点については、アメリカを反面教師にするようにしたい。アメリカは戦争への強迫観念をもっているという見かたがとられている。
戦争とはちがった形で、豊かさにつながるような蕩尽や消尽をとれればのぞましい。豊かさにつながるような蕩尽や消尽とは、ただたんに富をためこむのではなく、それをうまい形で贈与するということだ。ただたんに富をためこむだけでは豊かにはならない。それでは蓄積が進むだけである。
富をためこむというよりも、むしろ巨額の負債(赤字)を日本は国としてためこんでいるのがあるのは無視できそうにない。そうであることから、変な形で蕩尽や消尽の方向につっ走ろうという動きが出てきている。やけっぱちみたいなところがある。危機がおきているということだ。この危機をうまい形で軟着陸できればよいが、うまく行かないと着地に失敗してまずいことになりかねない。
やけっぱちでも何でもなく、国の巨額の負債は何の危機でもないのだから、危機をあおるのはまちがったことだ、ということが言われている。そう言われるのはあるが、そうかといって、国の巨額の負債はそのままでよいとか、これから先もどんどん負債を増やしつづけてよいとは必ずしもならない。
国がどんどんと負債をしつづけるという方向につっ走るのは、まちがいなく正しいとまでは言いがたく、色々な穴(問題)が空いているのを見ないとならない。穴が空いているのにフタをするのは、都合の悪い否定的な契機があるのを、隠ぺいや抹消することにしかならないものだ。絶対に確実だというのではなく、不確実さをまぬがれないということだ。人間には限定された合理性や、合理性の限界があるためだ。
蓄積と蕩尽(消尽)や、過大と過小といった二つの極のあいだにおける両極性や対極性(ポラリテート)がある。その両極性や対極性の振り子が振れるのがあるが、破滅の方向に進んでいってしまうのは、悪い形で蕩尽や過小のほうに振り子が振れてしまうことだ。よりまずくなったりより貧しくなったりするような、豊かではないのをもたらす悪い蕩尽や過小におちいってしまうのは、全体の危機をうまく脱することができなかったということである。