憲政の歴史において例を見ない、権力に近い政治家や高級な役人の嘘や偽りやごまかしのまん延

 憲政の歴史において例を見ないような、言論の府が自分で自分の首をしめる行ないだ。問題となる発言をしたことで国会から辞職をうながされている国会議員は、自分を正当化するためにそう言っている。

 問題となる発言をした国会議員の発言は、失言という次元をもはや超えていて、辞職はやむなしと言えるくらいのものだ。戦争をしてでも北方領土をとり返すというのは、戦後の日本がとってきた憲法による平和主義を損ないかねない発言だ。過去の戦争のあやまちをないがしろにするものだ。テレビ番組の出演者はそう言っていた。

 他国であるロシアとのあいだに日本は領土のもめごとを抱えているが、それを何とかするために、戦争という手段をほのめかすことは、国家主義の感情にうったえかけるものである。

 政治家が国民にたいして言うことにおいて、国家主義などの感情にうったえかけるものと、知性(頭)にうったえかけるものとがある。ミランダとクレデンダとされるものだ。そのどちらにおいても政治家は国民にたいして嘘や偽りやごまかしを言うことが少なくないから、そのままの形でうのみにしないようにすることがいる。

 感情にうったえるものでは、国家主義における愛国心国益などをあおるものがある。国民の自我の不安定感や不確実感につけこんで、権威主義による自発的服従をうながす。権力の虚偽意識(イデオロギー)による呼びかけに従う従順な主体をよしとするものだ。

 知性にうったえるものでは、一見すると正しい規則を持ち出してはいるものの、その持ち出し方がきわめて偏った不公正なものであるのがある。場当たり的になっているのだ。

 長期の視点に立っているのならともかく、短期の場当たり的なあり方になっているのなら、政治家というよりも、大衆迎合主義(ポピュリズム)による政治屋だ。そうした権力に近いまたは権力にとり入ろうとする政治屋の言うことをそのままうのみにはしないようにして、本末転倒にならないかどうかを批判として見ることが欠かせない。

 参照文献 『新書で大学の教養科目をモノにする 政治学浅羽通明(あさばみちあき) 『「本末転倒」には騙されるな 「ウソの構造」を見抜く法』池田清彦 『日本人論 明治から今日まで』南博 『現代思想を読む事典』今村仁司