戦争の不合理と、戦争をよしとする発言の合理化(正当化)

 北方領土を戦争をしてでもとり返すということを国会議員は言った。それで批判が投げかけられている。国会では辞職を迫られている。

 問題となる発言をした国会議員は、自分の発言についてや自分の議員の職を、言論の自由が危ぶまれるということで、言論の自由をたてにして合理化(正当化)しようとしている。これはカタリ(騙り)であるのにほかならない。

 たしかに言論の自由は大切なものではあるが、それをたてにしたところで、そもそも言っていることの内容が政策論としてまったくと言ってよいほど妥当ではない。戦争ということになれば、武力不行使の原則に反するし、大国であるロシアを敵に回しかねないのだから、日本にとって益にはならないことだろう。

 言論の自由というのは、おもに国民に与えられている権利であって、国会議員が何でも言いたいことを言ってもよいということとは言えそうにない。戦争ということを持ち出すのは、かなり大きな波紋を呼ぶものだ。いわば水面にかなり大きい石を投げこんで、国内外に大きな波紋がおきたようなものだから、石を投げこんだ議員の責任はまぬがれられるものではない。

 言論の自由というのは隠れみのではないのだから、議員が言ったことによって波紋がおきたり危機がおきたりしたことに、まともに向かい合って対応することが求められる。

 言論の自由と合わせて大切なのは、国家の権力が肥大化して暴走しないようにする歯止めだ。その歯止めをかけることがいるのだから、言論の自由ということをたてにして、国家の権力が暴走する最たるものである戦争という手段を肯定することはできづらい。国家の公をいたずらに大きくしないようにして、個人の私(の自由)を重んじることがいる。

 参照文献 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『政治家を疑え』高瀬淳一 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安 大貫功雄訳 『社会をつくる「物語」の力 学者と作家の創造的対話』木村草太 新城(しんじょう)カズマ 『新版 ダメな議論』飯田泰之