紛争の解決の手段として戦争(武力の行使)は適したものとは言いがたい

 北方領土は戦争でとり返せ。戦争でとり返すしかない。北方領土におとずれた国会議員はそう言ったという。いっしょに北方領土をおとずれた元島民にたいして、戦争をしてとり戻すことに賛成か反対かをたずねたり、戦争をしてとり返すしかないのではないかと迫ったりした。

 たしかに、北方領土はロシアが実効支配しているし、北方領土にはロシアの住民が住んでいて、ロシアにたいする帰属意識をもっているということだから、そうそうたやすく日本に返ってくることはないだろう。

 北方領土は戦争のさいに、日本が敗戦したときにロシアにうばわれたのはあるが、それだからといって、戦争でうばわれたものを戦争でとり返すという発想にはうなずけない。戦争でうばわれたとはいっても、日本は単純な被害者とは言いがたい。その戦争というのは、日本が対外的に他国に拡張して行く帝国主義による侵略戦争だったからだ。

 日本は侵略戦争をしたと言うと、自虐史観だとされるのはあるかもしれない。戦争がどうだったのかというのは、色々な史観によって見られるのはあるかもしれない。戦争にまでいたった流れとしては、日本の軍部や国粋主義の勢力の暴走がある。それを止められなくて戦争にいたったのだ。穏当派だった政治家や権力者は生ぬるいということで、軍人や国粋主義者によって殺害される事件などがおきた。

 国会議員は、戦争をして北方領土をとり戻すことに前向きなようだが、かりの話として、戦争ということであれば、まずまっ先に戦争をすることを決めた国会議員が戦地に行くべきだ。権力に近い国会議員が戦争をすることを決めるのだから、自分たちで戦地に行って、自分たちだけで戦う。

 戦争をしてまでも北方領土をとり返すことが、割りに合うのかや、本末転倒にならないのかを、冷静に見て行かないとならない。戦争をするということになれば、割りに合わなくなったり、本末転倒になったりするおそれがはなはだしく高い。

 戦争というのは武力を用いることだから、十分な理由もなくそれを振るってもよいということにはならない。基本としては武力を用いることは禁じられている。専守防衛などの例外的なときにだけ抑制的に武力を用いるのが許されているだけだから、領土をとり返すために武力を用いるのは手段としてとれないものだ。

 北方領土の領土問題では、日本とロシアのあいだに紛争がおきている。この紛争を何とかすることが、日本にとって何よりも優先度の高いことだとまでは言えないのだから、ほかのことを色々とくみ入れるようにして視野を広くしないとならない。領土についての紛争の争点を何とかするようにして、民主的な解決の道を探ることがのぞましい。

 参照文献 『一三歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話』加藤朗(あきら) 『「本末転倒」には騙されるな 「ウソの構造」を見抜く法』池田清彦 『二〇世紀を一緒に歩いてみないか』村上義雄