韓国がまちがっていて日本は正しいという絶対的な大きな物語はなりたたない

 韓国は一つになって日本に批判や文句を言ってくる。そのいっぽうで、日本は一つにはなれていない。日本の中には色々な意見がおきるので、一つにまとまることにはなりづらい。そこが日本の駄目なところであって、韓国にしてやられてしまう。テレビ番組の出演者はそんなようなことを言っていた。

 もしも韓国が一つのまとまりとなっていて、日本もまた一つのまとまりとなっていたら、たいへんに危険なことである。韓国と日本はともに、たった一つのあり方しかよしとはしていないことになる。しかもそれが、まっこうからぶつかり合うことになると、韓国と日本のそれぞれの国が自己保存(愛国)によって敵対し合う。

 じっさいには、韓国の中には色々な声があるだろうし、日本の中において色々な声があることはよいことだ。日本は民主主義の国なのだから、色々な意見が出ることがのぞましい。日本の中で色々な意見が出ないで一つのあり方だけに固まるようだと、民主主義がないがしろになりかねない。

 たとえ民主主義が大事だとはいっても、色々な意見が出るようであっては、国や社会の中がまとまらないではないか、ということがあるかもしれない。それについては、一つには、国や社会というのは民主主義よりいぜんに、そもそもがそれぞれの人々のさまざまな思わくによる遠近法によってなりたつものだ。集団の中には矛盾があるのを避けられない。

 自然界においては、多様安定相関の原理というのがある。これは、多様であることと安定することとが相関するというものだ。この原理は国や社会にそのまま当てはまる。国や社会が一つにまとまって固まると、かえって安定性を欠く。短期ではなくて長い目で見れば、色々な意見があることを許すようにしたほうが安定性がとれるので全体の利益になる。

 韓国がまちがっていて日本が正しいということが自明かどうかは、そこまで確かなことではないという見かたがなりたつ。まちがいなく自明とは言えないのだから、不確かであることをまぬがれるものではない。不確かであるのをくみ入れるようにして、ほんとうに正しいと言えるのかということを、さまざまな点について改めて見ることができる。さまざまな点をくり返し見直すようにして、たえず調整や修正をすることがいる。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『社会的ジレンマ山岸俊男 『論理的思考のコアスキル』波頭亮(はとうりょう) 『正しさとは何か』高田明典 『科学文明に未来はあるか』野坂昭如