現実(写実)主義で見ればただのおっさんにすぎない

 首相が、かっこよいさむらいの絵として描かれる。これにたいして、本人と似ていないではないかとの声が投げかけられている。また、首相をかっこよいさむらいとして描くことはどうなのかということが、描いた人(作者)にたいして言われている。

 描いた人はあくまでも仕事として描いたのだから、別によいではないかとして肯定する声も言われている。仕事として発注されて描いたのはたしかなのだろう。また、政治家が自分たちをよく宣伝するために、かっこよい絵を用いて何が悪いのか、という声もある。この声にたいしては、それにしても、という印象をぬぐい切ることができない。

 おかしい点としては、一つには、あまりに美化されすぎていて、絵を見ただけでは首相をまったく連想することができない。せめて少しでも本人に寄せるとか似させるという制約がとっぱらわれてしまっているようだ。首相やほかの政治家がさむらいだという設定がおかしいのもある。

 首相やほかの政治家をかっこよいさむらいとして描くのは、それそのものが虚偽意識(イデオロギー)の産物だということができるだろう。現実の本人からはそうとうにへだたりがある。そこをつっこむのは大人として野暮というのはあるかもしれないが、あえてそこは言わせてもらいたい。

 絵のそばにただし書きをつけて、これはあくまで空想のイメージであって、じっさいの実物とはまったく異なる、というふうに書いてあればまだしも親切だ。そうでなければ、そうとうに美化された絵にたいして、じっさいの実物である本人がそのままでオチみたいなことになる。