アイドルグループに見られる集団主義のおきて

 不起訴になったのは、すなわち事件ではないということだ。アイドルグループの社長はそう言っているという。アイドルグループのメンバーの一人が、事件がおきたことを訴えているのを、社長は認めずに退けているのだ。

 メンバーが事件の被害を訴えているのにも関わらず、社長は、それをアイドルグループや会社の評判を傷つける加害の行為だとしている。事件のことを訴えつづけるのであれば、メンバーはアイドルグループから脱退せよとうながしている。

 社長がしていることは、アイドルグループのメンバーにたいする力関係の嫌がらせ(パワー・ハラスメント)になっているという声が投げかけられている。

 社長というのは組織の中で上に立っていて、権力をもつ。上に立っている立ち場からものごとを決めつけるのは、適正なやり方とは言いがたい。

 たとえ不起訴になったのだとしても、それは証拠が不十分だったというだけであって、事件がおきなかったということを必ずしも意味するものとは言えそうにない。

 社長は、所属するアイドルのメンバーが言っていることを、嘘だと決めつけず、好意の原理によって受けとるべきではないだろうか。アイドルのメンバーが、事件の被害にあったのだとすると、自分の身に不正義のできごとがおきたのだということを言う必要性は高い。なので、それを言うことは認められることがいる。

 気をつけないとならないのは、社長や上の者が、可傷性(ヴァルネラビリティ)や悪玉化されやすいメンバーのことを、贖罪の山羊(スケープゴート)にして排除しないようにすることである。集団主義によって、同調圧力をかけたり、空気を読まさせたりすると、個人が不当にないがしろにされかねない。

 アイドルグループの中にいて、そこに所属しているのなら、一人ひとりのアイドルの人格権が十分に尊重されることがいるし、発言の権利が認められることがいる。グループや会社は、アイドルとのあいだに因縁(関係)があるのだから、アイドルの権利を保障する一定の責任をもっている。

 アイドルどうしや、アイドルの中の誰かがもめごとに巻きこまれたのであれば、それの争点を解決することが肝心だ。もめごとの争点をうやむやにしたり、解決しようとしなかったりするのは、けっきょくのところアイドルグループや会社にとって、よくないことになりかねない。

 いまは情報化された社会となっているので、隠ぺいの体質は通じづらい。アイドルグループや会社の評判を落としたくないのであれば、アイドルの一人ひとりに十分に配慮するようにしたほうが、良心や倫理観が示されることになるだろう。

 参照文献 『「説明責任」とは何か』井之上喬(たかし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『法律より怖い「会社の掟」』稲垣重雄