うみがたまりつづけていて、緊張ばかりで緩和(つっこみや批判)がないのは、民主主義としてはまずいことだろう(民主主義では、緊張や不安定を小出しに吐き出すことがいる)

 大阪の吉本新喜劇の舞台に首相が出ていた。その中で、大阪の文化や、お笑いの力を生かすことができるというふうに言っていた。

 たしかに、首相が言うように、外交や内政などにおける難しいことがらに、お笑いの力を生かすことができたらよいのはある。お笑いというのは否定ではなくて肯定のものであるから、肯定によってものごとがうまく行けばのぞましいことだ。

 敵対していて、ぶつかり合いになって緊張がおきているところにこそ、お笑いによる力を生かせればよいが、そうしたところでは現実においては敵対による緊張を和らげることができづらいのがある。緊張を和らげづらいのは、考え方の枠組み(フレームワーク)どうしの橋わたしがしづらいからだ。

 お笑いというのとはちょっとちがうが、首相は国会において、にやにやするのやへらへらするような、笑い顔をしていることが目だつ。これは、笑うということの負の面だ。笑うことには攻撃や毒の面がある。必ずしも善ではない。見下すことなどにつながるものだ。笑うことの負の面に気をつけてほしいものだ。

 格闘技のムエタイでは、選手は笑い顔をするように訓練される。相手から攻撃を受けても、笑い顔を保つ。それによって、攻撃が効いていないということを示せるし、心のゆとりを持ちやすくなる。

 公の政治においては、笑い顔をつくることによって相手をいなすのはあまり適したことだとは言えそうにない。公の政治において大切なのは、問題にしっかりと向き合うことだ。統治(ガバーナンス)ができていなくて、がたがたになっているのにも関わらず、政局に持ちこまないようにするために、首相が笑い顔をつくってやりすごすのは、まずいことだ。笑うということを、悪いことに使っている。

 お笑いの力ということで、大きな笑いを生み出すのはおもにジョーク能力だ。それとはちょっとちがうが、ものごとを見るさいに、さまざまな視点をもつようにすることで、新しいことに気がつけたり、敵対による緊張を和らげたりすることにつながる。

 画一化や平準化の圧がはたらいて、空気を読まされるような和の拘束がとられると、視点が固定化されがちだ。視点を動かすようにして、色々な角度から見ることによって、理解を深めることができれば益になる。

 参照文献 『簡単にできる 笑み筋体操 笑いは副作用のないクスリ』林啓子 林隆志 『ユーモア革命』阿刀田高 『反論が苦手な人の議論トレーニング』吉岡友治 『民主主義の本質と価値 他一篇』ハンス・ケルゼン 長尾龍一 植田俊太郎訳 『勝ち残る!「腹力」トレーニング』小西浩文 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅