日本の国を批判するのは、反日や売国だ。それとはちがい、日本の国を愛するのは愛国だ。日本の国にほこりをもつ。
愛国による国家主義では、日本の国というのが単一の価値となる。日本の国がただ一つの価値をもって、それが全体をおおう。
全体は虚偽である。全体は非真理だ。哲学者のテオドール・アドルノ氏はそう言っている。全体は虚偽だというのと共に、ただ一つの価値が全体をおおうというのは現実において成り立ちづらいのがある。
ただ一つの神さまによる一神教のあり方は、最高価値だ。その最高価値は没落となって、価値の多神教となる。神の死だ。大きな物語ではなく、小さな物語を人それぞれがとることになる。
近代の世の中は世俗によるものをよしとする。世俗によるあり方は、愛国ということで、日本の国をよしとするのだけをとるものではない。日本の国を疑ったり批判したりするのもよしとするものだ。反日や売国であってもよいし、愛国であってもよく、それらのちがいやよし悪しは相対的なものだ。