市場原理による効率性を高めることで、国がよくなるのだというのには、必ずしもうなずくことはできそうにない(温かい公平性もまたそれに劣らず重要だ)

 国の社会保障にかかる費用が増えている。これは、社会保障の費用をまだまだ削れることをあらわす。まだまだ無駄がある。経済学者の人はそう言っていた。

 国の社会保障の費用を削って行き、国が必ずしもやらなくてもよいことはやらないようにして、民間に任せて行く。大きな政府から小さな政府への方向性だ。

 社会保障にかける費用が増えているとして、そのことが、無駄があることをあらわすものだとは必ずしも言いがたい。無駄があるから削ることができるのだというのにはうなずきづらい。まず無駄なのかどうかを改めて見ることができる。

 社会保障はどういう目的をもっていて、どのような時間の幅(短期か中期か長期か)で見るのかをはっきりとさせることがいる。目的と時間の幅をはっきりさせないと、無駄かどうかはわからない。

 社会保障を削っていって、大きな政府から小さな政府にすることで、国はうまく行く。それは一つの道というかあり方ではあるだろう。冷と温があるとすると、冷をおし進めて行くあり方だ。冷をおし進めて行くことによって、温がとれなくなることになると、冷と温が不つり合いになる。社会が健全に立ち行かなくなることになりかねないのが難点だ。

 競争による市場原理だけでうまく行くとはかぎらず、市場の失敗がおきることは少なくない。市場原理がうまく行くためには、社会保障などによる社会福祉がうまくはたらいていないとならない。

 冷と温のつり合いをとるために、市場原理による効率性だけではなくて、社会保障などの公平性をとることがいる。勝つ者は正しくて、負ける者はまちがいだといったような、力によるものだけではなくて、ケアのあり方のようなものが社会の中にはいる。

 互いに関係し合うのや、互いに支え合うのや、個人にたいする助けの手をさし伸べるような、ケアのあり方の重要さが、社会の中で高まっているのではないか。これが欠けてしまっているために、競争による市場原理がうまく行かなくなっているのだという見かたはなりたつ。

 参照文献 『無駄学』西成活裕 『効率と公平を問う』小塩隆士 『小さな倫理学入門』山内志朗